視る詩の不思議(4) メールアートギャラリー<ヴィジュアル・ポエトリー> [メールアート]

5.あらためてヴィジュアル・ポエトリーとは?

 考えてみれば、あらゆる芸術作品、芸術行為は詩的側面(ポエジー)を内包している。その意味では、あるゆる芸術は詩的であるといえる。ならば、あらためて、ヴィジュアル・ポエトリーとは一体どのように定義できるのだろうか。素朴にそう考えてしまう。

 詩や文字には3つの側面(要素)がある。それは「意味」「音」「形態」である。通常、現代詩と呼ばれる現在の詩では、意味に重きがおかれている。従い、印刷された詩集や雑誌を黙読することが「詩が読まれる」というように認識されている。けれど、詩は音読されたり、朗読されたりもする。この場合には音素が加えられている。ポエトリー・リーディングとか、サウンド・ポエトリーも音素による詩だと考えればいいだろう。ならば、形態素を重視した場合に詩はどうなるだろう。この形態素を重視した詩が具体詩(コンクリート・ポエトリー)であり、視覚詩(ヴィジュアル・ポエトリー)なのである。そして、文字を使用したアートはメディアの多様化、発達によってその発現様相を複雑にしている。またどのようなアートもデザインや広告に一般化してゆくが、ヴィジュアル・ポエトリー的な表現も同様であり、コマーシャルへの浸透もされている。そのため、ヴィジュアル・ポエトリーを定義することが非常に難しくなっている。但しヴィジュアル・ポエトリーはあくまでもポエジーを核にしている、ということだろうか。

 本音でいえば、そのような定義は私にとってはどうでもよく、メールアート・ネットワークの中で詩人たちとの接点を与えてくれ、興味を持つことができた表現であったということにこそ意味がある。また、それを媒介に多くの方に出会ったり、作品に出会い、刺激されたりということにこそ価値があったと思っている。おそらく、メールアートに関らなければ、一生ヴィジュアル・ポエトリーとは出会わなかっただろう。

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イタリアのRuggero Maggiの作品

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フィンランドのJ.Lehmusの作品

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ベルギーのGuido Vermeulenの作品

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オーストリアのCHARISTOS-ANSARIの作品

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アメリカのBruce Willenの作品

ピエールガルニエ表紙.jpg
ピエールガルニエ裏.jpg
フランスの詩人ピエール・ガルニエとのコラボレーション視覚詩集「Hai-kai,un cahier D'ecolier」

※今朝、スペインのBOEK(Cesar Campos)からeメールがきました。ヴィジュアル・ポエトリーに関するブログです。スペイン語圏のアーティストが中心です。  http://boek861.blog.com.es/
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水郷楽人

こんばんは。初めまして、MYblogへお越しいただきまして有り難うございました
<あるゆる芸術は詩的であるといえる。
何か昔習ったバイロンの詩を思い出しました。その通りですね。
そう言えば、かつて銀スイカの産地は岡崎だったそうですね。
by 水郷楽人 (2009-06-29 19:37) 

ナカムラ

水郷楽人さま:コメントありがとうございました。今後とも宜しくお願いします。そうですか、銀スイカの産地が岡崎だったとはしりませんでした。でも、子供のころは大きなスイカを井戸で冷やしたものでした。親戚の畑からメロンもいただいた記憶があります。今年はまだスイカを食べていません。
by ナカムラ (2009-06-29 21:10) 

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