雑誌『女人藝術』をめぐって―村山籌子と小林多喜二を中心に(4) [村山籌子]

5.『女人藝術』における村山籌子

 『女人藝術』には村山籌子の足跡もある。その最初は1929(昭和4)年三月號のこと。「私を罵った夫に與ふる詩」という詩一編である。

  「1/私の夫よ、/あなたは私を豚と罵った、/私は豚です、全く豚です、/アルカリ性の声を持った/あの人の頬に接吻するまでは/2/ああ私は、/私を拒むあの人の鼻から吹き出す/しめった温室の空気の/又、もつれたブロンドの息を吸いたい!/それはくさった花束の中にのこった/花の匂ひです。/3/私を浄めるものは/少しばかりくさった聖なるものばかり/4/豚よ、豚よ、/みんなはお前を憐むだろう、/たとへお前が/清浄に洗はれた/コンクリートの上に住んでゐても/豚は豚らしさが故に軽蔑されるであろう。/5/つまりは/愛人の息を吸ふにある。/その中に私は見る、/悲しさを/美しさを、/又楽しき夢を。/6/私の夫よ、/あなたのたった一言の侮蔑は/私をかく轉生させる。/7/永遠の愛人よ、/子供らしき私よ/私の夫よ/萬歳!!」

「私を浄めるものは、少しばかりくさった聖なるものばかり」とは。かなり複雑な構造をもった詩である。村山籌子というと、独特の童話が思い浮かぶが、なかなか優れた詩人であることが感じられる一編である。続いて、創刊一周年の記念号である七月號では「部屋の中の散歩」という随筆を書いている。前述の尾崎翠と同様に、村山籌子も「匂ひ」について鋭い感性をもって書いている。この時代の女性に共通の感性だったのだろうか。

  「さっき夫は外出した。/私はその時、新しく敷いた青くさい匂ひのする畳の上を、赤いスリッパをはいたまゝ理由もなくぶらぶら歩きまわつてゐた。」

  「青い葉はこんなに濃く、そして重り合って熟した匂ひをこぼしてゐる。つゝじの葉はかさかさした肌に赤い生ぶ毛をはやしてゐる。其匂ひは遠くへは廣がらないおもちやのパラシユートに似てゐる。それから、雑草の匂ひはアメイバの様に單純で、かげば頭痛がする。それはもはや匂ひではなくて鼻の粘膜を刺激する綿毛みたいなものだ。」

  「コップをかいだら、それはフキンの匂ひがしみてゐた。何度も水をかけて、その不快な匂ひを消して、一杯の水にフルーツ・ソルトを入れて、鼻の中に飛び込んで来る小さい白い泡を避け乍ら飲み干した。」

この文章を読みながら、私は少し不安な気持ちになった。翠も籌子もみずみずしい感性をもっているのだけれど、臭覚を文学に取り込むような才能には、ある種のパラノイア気質のようなものを感じてしまった。考えすぎだろうか。十月號では「健康な女の子」という創作を書いている。ちなみに、この号では創作の特集が組まれており、窪川いね子、葵イツ子、眞杉静枝、村田千代、大田洋子、長谷川かな女、山川朱實、大谷藤子、戸田豊子、中本たか子、松本惠子、水嶋あやめ、長谷川時雨が小説を掲載している。評論欄には上田文子と八木秋子が文章を寄せている。

「女人藝術」2-10号 昭和4年10月號 村山かず子写真.jpg
 『女人藝術』昭和4年10月號掲載の村山籌子のポートレイト

「女人藝術」2-10号 昭和4年10月號 真杉静枝写真.jpg
 『女人藝術』昭和4年10月號掲載の眞杉静枝のポートレイト

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