未来派百周年と三角の家(2) [村山籌子]

2.MAVOの結成に向けて

マリネッティとの出会いと、その後の出来事は、『演劇的自叙伝2』の一節を引用して紹介したい。

「マリネッチはりゅうとした燕尾服でホテルにいた。ヴァッサリの世話で、ワルデンの画廊の未来派の展覧会に出品し、次いでデュッセルドルフ万国博覧会にも三点ずつ出品した。」

こうした直接の出会いは持てたものの、ホテルにいたマリネッティは年若い日本人、村山を鼻にもかけなかったようである。こうして村山は、ドイツにおいてのデビューを未来派の展覧会において飾ったのであった。
 
 村山知義は1923(大正12)年1月31日に上落合の自宅に帰っているが、彼が抱えて帰ってきたのは、哲学書でも、未来派美術でもなく、「意識的構成主義」であった。村山が意識的構成主義を日本に持ち帰るまでは、フォービズムと未来派が広く知られていたようだ。未来派美術協会には普門暁をはじめ、木下秀一郎、渋谷修、ブリュリューク、尾形亀之助、大浦周蔵、柳瀬正夢などが参加。展覧会には稲垣足穂も出品している。また未来派といえば、その代表作として東郷青児の「パラソルをさす女」がよく引き合いに出されるが、東郷もイタリアにマリネッティを訪ね、行動をともにした時期がある。マリネッティの戯曲『電気人形』を翻訳した神原泰は1924(大正13)年に『未来派研究』を出版した。神原泰はマリネッティと直接文通を続けていた。

東郷青児『新東京歌集』由利貞三著 白帝書房 昭和5年.jpg東郷青児装丁『新東京歌集』由利貞三著白帝書房 昭和5年裏.jpg
東郷青児が装丁した、昭和5年白帝書房より刊行された由利貞三『新東京歌集』の表紙と裏表紙

 ところで、日本に帰国した村山は「意識的構成主義展」をドイツからの荷物の中の絵画の到着を待たずに、つまり帰国後に描いた絵のみで構成した展覧会を矢つぎばやに開催した。その第二回の展覧会は自宅である上落合186番地のアトリエで開催したものであった。近くに住んでいた柳瀬正夢、尾形亀之助のほか辻潤も見に来たという展覧会に訪ねて来て、お互いに語り合った画家を中心に新たな芸術家集団を作ることになる。それがMAVO(マヴォ)である。結成は1923(大正12)年の7月頃のこと。尾形亀之助、柳瀬正夢、大浦周蔵、門脇普郎、渋谷修、加藤正男、岡田竜夫、戸田達雄、高見沢路直、住谷磐根、ブブノヴァ、矢橋公麿などがメンバーであるが、結果的に未来派美術協会から尾形、柳瀬、大浦、門脇、渋谷などが引き抜かれた形になってしまった。

村山知義『暴力団記』日本評論社 昭和5年.jpg
村山知義『暴力団記』昭和5年日本評論社 恩地孝四郎の装丁
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コメント 8

アヨアン・イゴカー

>東郷青児が装丁
この装丁は昭和初期のモダンを彷彿とさせて、懐かしさを感じさせます。
by アヨアン・イゴカー (2009-08-11 08:26) 

やまがたん

いつもいつもコメント、訪問ありがとうございます☆
by やまがたん (2009-08-11 12:19) 

やおかずみ

台風、地震など大丈夫でしたか?
by やおかずみ (2009-08-11 14:08) 

ナカムラ

アヨアン・イゴカー様:コメントありがとうございます。東郷青児のこの時代の装丁は私も好きです。
by ナカムラ (2009-08-11 15:21) 

ナカムラ

やまがたん様:コメントありがとうございます。なかなか夏らしくなりませんね。
by ナカムラ (2009-08-11 15:21) 

ナカムラ

やおかずみ様:コメントありがとうございます。台風はそれたのでしょうか、新宿は青空が見えています。地震は驚きました。思わず家族全員が起きてしまいました。でも、ものも落ちなかったので東京はそれほどでも。静岡は大変なようですね。お心遣いいただきありがとう存じます。
by ナカムラ (2009-08-11 15:24) 

kuwachan

東郷青児の装丁なんですね。

東郷青児といえば、自由が丘にある老舗の洋菓子屋さんの包装紙が
そうなんです。
子供の頃から(その頃は東郷青児とは知らず)素敵だなと思っていました。
たぶん今でも使っているはずです。
昔ながらのケーキが美味しいです。
by kuwachan (2009-08-13 12:42) 

ナカムラ

kuwachan様:コメントありがとうございます。そうですね、東郷はお菓子やさんどころか、喫茶店のマッチのデザインまでやっています。戦前は、有名な画家であっても売り絵だけで食える方は少なかったそうですので、装丁、挿絵、イラスト、デザインの仕事などを特に若い画家は担当したようです。東郷に関して言えば『恐るべき子供たち』の翻訳までしていますので、多彩ですね。以前にとりあげたプラトン社の嘱託図案家やクラブ化粧品のパッケージデザイナーまでやっています。私は1920年代後半~30年代前半までの東郷がすきです。ケーキは昔ながらから今のものまでどの時代のものも好物です。
by ナカムラ (2009-08-13 15:49) 

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