雑誌『火の鳥』  尾崎翠と片山廣子(5) [尾崎翠]

(5)こほろぎの背に接吻ひとつ

「霞を吸って人のいのちをつなぐ方法。私は年中それを願つてゐます。でも、あまり度々パン! パン! て騒ぎたかないんです」地下室食堂はもう夕方であつた。

食欲さえできれば回避したい。尾崎の思いがダイレクトに伝わってくるラストである。この後、『新科学的文藝』の八月号に「地下室アントンの一夜」を書くが、9月に薬による幻覚症状がひどくなり、鳥取に連れ帰られる。これが東京との別離になろうとは誰も思わなかっただろうけれど。そして、そのぎりぎりのところで小説世界として成立したのが、この「こほろぎ嬢」だと思うのである。
 鳥取に帰った尾崎が1933(昭和8)年11月に地元の自由律短歌誌『曠野』に発表した「神々に捧ぐる詩」は創作作品としてのほぼ最後の作品といっていいと思うが、二つの詩の最初が「チヤアリイ・チヤツプリン」に捧げられ、そして二つ目は「ヰリアム・シヤアプ」に捧げられているのだ。「君は文学史から振りおとされた、とても微かな詩人」であって、尾崎は「すこし探し疲れたんだ。」という。そして、ヰリアムを「もくせいの匂い」に譬える。

  わがまどの
  もくせいの香は、
  雨ふらば
  こほろぎの背に
  接吻ひとつ。

「君が片身。君が分心(ドツペルゲンゲル)。おお、君は、なんといふ分裂詩人。」とやはり関心は分裂人格にある。そして、この詩の最後には「ミス・フイオナ 私はすこし疲れました 歴史用の顕微鏡を欲しいほど。」シャープとマクロウドのどちらを尾崎翠は追いかけたのだろうか。どちらにシンパシーを感じたのだろうか。

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chako

尾崎翠の特集が始まったので、じ〜っくり読みたくて今朝は早起きして読ませていただきました。
作品を読むと、鋭角的な冷たいナイフで刺されるのに、なぜかやがてナイフはぐにゃぐにゃに溶けて一体化してくるような、そんな感じを受けます。

私は父の死によって
得た悲しみよりも
もっと深い悲しみを望んでいる。

絶えず死の悲しみに
心をうちつけて居たいのである。
それは決して
無意味な悲しみではない。
私の路を見つけるための
悲しみである。  「悲しみを求める心」より

私は自分の人形に「陶人形・個々路」と名付けています。悲しいけれど、個々の路を行くのが一番の幸せと思った時に名付けました。それが「こころ」だと。
美しい心を求めては住めない世の中になってしまいそうで、それでも生きるために人形に託しています。


by chako (2010-03-17 09:51) 

ナカムラ

chako様:コメントありがとうございます。このコメントを拝見して続けてもう1作分、尾崎翠に関する文章を掲載しようと決めました。昨年1年は尾崎翠の作品に正面から向き合いましたから。尾崎翠を読むと、いつも良質の少女マンガを感じます。たとえば岡田史子のような。大正11年から昭和7年までが活動期ですから、早い時期の女性作家の一人でもありますね。「鋭角的な冷たいナイフ」なるほどと思いました。感覚が鋭敏なんですよね。でも、どこか大雑把な表現もしてゆく。ユニークな作家だと思います。詩、心にしみました。でも、私は実践できそうにありません。「個々路」素晴らしい命名ですね。暖かいけれど厳しいchakoさんの作品にあっているものと感じました。
by ナカムラ (2010-03-17 13:14) 

ぼんぼちぼちぼち

この五回、じっくり拝読いたしやした。
恥ずかしながら 尾崎翠について殆ど知らなかったので
とても興味深く読み進み 大きな糧とさせていただきやした。
読んでいる側ですら 刺し貫かれるような痛みを感ずる人生でやすね。
こういう気質の人というのは、いつの時代も ごく一部に 必ず出現するように思いやす。

また、少々話の力点はズレやすが
ここまで病んではいなくても 異端・前衛 と呼ばれるものは
時代を経ても その世界の中心的位置・フツー・王道 にはならないのだな、と 最近 様々な世界を俯瞰してみて 実感しやす。
絵画の王道は相変わらず具象で
演劇・映画のそれは今もって カフカやベケットのように起承転結から外れたものは商業として成り立たないと見なされ
短歌で 寺山がアカハタを売っていないのに売ったと詠ったことを論外だと嘲笑されてから何十年も経っていながら 今だにそれを笑う意識は変わらないらしいでやすね。

異端が時と共にフツーになってほしいと願っているわけではないんでやすが゛、遅ればせながら ごく最近 この事実に気のついたあっしでやす。

何故なら、「どういう気質の人間が多く生まれるか」 は、いつの時代も変わらないからでやすね。 

あっしなりの感じ方を述べさせていただきやしたが
あっしの言っていることが見当違いだったらご指摘くださいでやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2010-03-17 19:30) 

dororo

ナカムラさんのblogで初めて尾崎翠という人を知りました。
とても興味深い作品ですね。
by dororo (2010-03-17 23:49) 

ナカムラ

ぼんぼちぼちぼち様:コメントありがとうございます。異端はおそらく、いつか異端でなくなるのでしょう。時代は移ってゆきますから。ただ、アヴァンギャルドなものは、なかなかポピュラーにはなれないですね、きっと。私自信は尾崎翠はアヴァンギャルドでもモダーンでもないので、ポピュラーになれる作家だと思うのですが、どこかでアヴァンギャルドな魂も持ってるんでしょうね、きっと。寺山も必ずしも新しくないんだけれど、「われ」の捉え方が過激で、アヴァンギャルドなものをもってますよね。文学でフィクションが認められないなんてありえなくて、もしこれを短歌界が認めないとしたら、もはや短歌は文学ではありませんね。寺山は「われ」という一人称を巧みに操作しながら、フィクションの個人史を創作したのが面白かったんだと思うのですが。尾崎翠の本の装丁を私なら合田佐和子さんにお願いしたいです。そしてグレタ・ガルボの「まなざし」を描いてもらって「こほろぎ嬢」に巻きたいです。

by ナカムラ (2010-03-18 00:42) 

ナカムラ

dororo様:コメントありがとうございます。尾崎翠のしずかな再評価が広がっているこのごろです。チャンスがあれば一度お楽しみいただければ幸いです。
by ナカムラ (2010-03-18 00:44) 

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