「地下室アントンの一夜」の世界(1) [尾崎翠]

(1)「地下室アントンの一夜」の時代背景

 作家・尾崎翠の最後の小説は1932(昭和7)年『新科學的文藝』八月号、通巻26号に掲載された「地下室アントンの一夜」である。この号に掲載された他の文学者たち、特に詩篇として掲載の近藤東、村野四郎、阪本越郎、竹中郁、春山行夫、詩人論のコーナーには伊藤整、北園克衛がいて、かなりモダニズムよりの雑誌であることがわかる。尾崎翠は必ずしもモダニズム作家だと私は思ってはいないが、やはりその作風からモダニズムあるいは新興文学としての評価があったのだろうと思う。
 1932(昭和7)年という年、その時代背景を考えると、その後の戦争へと向かう道筋が明確に示された年であったと感じる。1月28日に上海事変勃発、3月1日には満州国の建国宣言があり、軍事クーデターである五・一五事件が発生、テロリズムに大臣たちが倒れた。その後に成立した斎藤実内閣は、軍官民一体の挙国一致内閣で、この非常時体制は第二次世界大戦の終戦まで続くことになってしまう。つまり、この年の一連の変化が1945(昭和20)年の日本の敗戦と戦時体制崩壊までの長い長い「戦争」と「自由のない」閉塞的な時代を作り上げたのだった。その象徴は翌年2月20日の小林多喜二の特高警察による拷問虐殺であった。時代はわずかな変化をみせながら、だが確実に自由な表現行為を徹底して排除する時代へと傾斜を始めたのであった。この「地下室アントンの一夜」はそうした時代に書かれた一編であるのだ。

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chako

どんな瞬間に第七官界が現れたんでしょうね?
鳥取の海のお陰でしょうか…
「心臓が背伸びしています。
 久しぶりに菱形になったようだ。」
という表現辺り、時代が書かせたんでしょうか。
研ぎすまされた感性ゆえに、ますます苦しい年月だったと思います。
by chako (2010-03-18 08:41) 

ナカムラ

chako様:昭和7年以降は作品らしい作品を書かれませんでした。私にはあえてかかれなかった時期があったように思えます。第七官界、故郷の自然によって形成されたと考えたいですね。ちょっと現代的に、そして現実的に考えるとミグレニンという薬品の副作用から始まっているようにも思えます。
by ナカムラ (2010-03-18 13:21) 

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