「地下室アントンの一夜」の世界(3) [尾崎翠]

(3)地下室アントンの構造

 お互いに矛盾する要素が反発しあったり、逆に親和融合しながら、カオスのままに尾崎内には混在しているのだろう。そうしたカオスの内面を、おそらくは暗喩的に職業や人格をもって描出しようとしたのではなかったか。それゆえ、全く別人の何人かの日記や手記などを引用したという形をとっているのだ。つまり様々な要素を引用し、コラージュして一つの矛盾した人格(全ては尾崎翠であるが)を描こうとしているのだ。そして、それが一つの部屋に凝縮されてゆくのだろう。こうした発想のもとに日記や手記を引用するので、バランスをもってそれぞれの引用資料の内容がわかるようには引用されない。それはそうだろう、内面の表出に都合の良い部分をその限りにおいて引用するのだからバランスをとることはできない。実際に小説の冒頭をみてみよう。幸田當八の各地遍歴のノオトから一行、その後に詩人・土田九作の詩稿が約9ページもある。表出に都合がよければ都合がいいだけ引用するし、そうでなければ引用しなければ良いのだ。個別の人物の描写には大きな意味はない。そのバランスにも何の意味もないということになるのだろう。

 登場人物である、心理学者の幸田當八は精神部分の科学的側面を構成する。精神部分における、この対極として詩人の土田九作がおかれる。詩人は精神部分の文科的(アート)側面を構成する。詩人は動物学者の松木氏とも対立する。松木氏は物質部分の科学的側面を構成する。詩人はこれに対して物質部分の文科的側面をも構成する。詩人は結果としてふたつの要素を兼務する構造になっているが、こうした四つの「内面」の部分部分を四つの人格が構成するのである。面白い小説構成である。しかも、詩人部分が半分はあるので、詩稿が小説のかなりの部分をとってしまっているのだろう。そして、残り二人の登場人物は狂言まわしというか、全体の触媒のような現実的な役割を果たす。ふたりともに女性であるのが面白い。一人は若い小野町子であり、もう一人は松木夫人である。この二人も似ているようで、実は対極的である。このように「地下室アントンの一夜」は、かなり複雑な構造を内包しているのだ。この複雑な構造は、とりも直さず作者である尾崎翠の内面の複雑さの反映とみることができるだろう。小野町子が若い女性であるからといって、尾崎翠の投影とみるのは短絡的すぎる。そう単純ではない。あえて言うなら、尾崎翠の中にも少女のような側面もあるのだと解釈するのが妥当なのだろう。小野町子は詩人・土田九作の詩稿「天上、地上、地下について」の中に登場する。そして、この詩稿のタイトルのように尾崎の精神・物質の内面も「天上・地上・地下」という異なる構造体によって複合的に構成されているのだろう。天上界で尾崎が気にするのは雲。晴れでも雨でもなく中途半端な雲という存在。

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