落合山川・林と翠(5) [尾崎翠]

林芙美子の処女詩集を出版した南宋書院

ところで、尾崎翠と同居していた松下文子は1929(昭和4)年五月号の『女人藝術』に詩「白木蓮」で登場する。そして、林芙美子はこの間、ずっと「放浪記」を連載し続けている。

  白木蓮の下
  梢 晴れて
  地は あかるし
  花 囓りつゝ
  捨られし人
  風にふかれぬ。

林芙美子の最初の著書は詩集『蒼馬を見たり』である。これは1929(昭和4)年6月、南宋書院から刊行された。まだ売れていない林の詩集を出版しようという出版社などなく、大変な苦労の末の出版だった。この処女出版に本稿の登場人物全員が深く関わっているのである。ということは一つの結論が導き出されるであろうことは自明で、尾崎翠の人脈によって出版にこぎつけることができた一冊であるという事実である。南宋書院の経営は尾崎の鳥取からの知己である涌島義博である。前述のように涌島は橋浦泰雄を通じて叢文閣の足助素一のもとで本作りを学んでいた。南宋書院からはアナーキストや左翼傾向の出版物が刊行されていた。現在、国立国会図書館の蔵書検索によって南宋書院で検索すると、レーニンやブハーリンの著書が出てくる。おもに1927(昭和2)年から1928(昭和3)年にかけての時期である。また「無産者大学パンフレット」や「世界社会主義文学叢書」といったシリーズものが並んでいる。文学者であった涌島義博と田中古代子夫妻であるから文学書の出版が皆無ではない。だが極めて少ないという印象である。1926(大正15)年には白井喬二の『至仏峠夜話』を出版しているが、これはまさに鳥取県人会や橋浦泰雄を通じての交流から生まれた一冊であろう。そのほか、正宗白鳥や佐藤春夫などの著書の出版はあるが、極めて異例なのである。とすれば、一部の費用を林自身が出しているとはいえ、新人の詩人のものを南宋書院は出版しなかったろうと思う。ここから類推されること、それは尾崎翠による口利きがあったということであろう。原稿を読めばたしかにその魅力が涌島にもわかったろうが、出版社主の立場からすれば積極的ではなかったと思うのである。ましてや、南宋書院の国会図書館蔵書リストを見る限り、『蒼馬を見たり』を出版した1929(昭和4)年は南宋書院にとって最晩年にあたる。

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コメント 2

ばん

林芙美子さん以外の方のお名前は知りませんでした。
放浪記と云えば森光子さんが有名ですネ。
by ばん (2010-07-15 20:50) 

ナカムラ

ばん様:コメントありがとうございます。森光子さんの演劇あっての今の林芙美子の知名度という気がします。もちろん、良い作家ですが他の当時の良い作家は忘れられてしまっていますから。
by ナカムラ (2010-07-16 12:23) 

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