「第七官界への引鉄」板垣直子と一冊の本 (2) [尾崎翠]

公楽キネマのゴールドラッシュ

この日、樺山千代のところに来た生田春月は長椅子に腰をすえると、三人で話したのだという。尾崎は鳥取での講演の題を聞いている。春月は「知識階級の行衛」であると返答した。話は心中、ことに有島武郎のことに及んだという。

私は去年、一度先生の自殺のおそれを感じて尾崎さんと相談し、加藤武雄先生に御相談に行かうかなどゝ語りあつたまゝ、何事もなく今年になつた事を思ひ出したので、一寸、皮肉な心持の内に先生のその言葉をきいてゐた。

「女房が夫に甘へるやうだね」
と、先生も尾崎さんに縺れかゝる私を面白さうに笑はれた。

これが樺山千代にとって生田春月との永久の別れになったのだった。樺山の文章の冒頭に戻りたい。

私は目には笑つてゐた。しかし心には果しもなく嗚咽をしてゐた。そして何時かこれとそつくりの心持の時があつた事を思ひながら心にそれをさぐつてゐた。ふと思ひ出した。場末のシネマの硬いベンチでチヤツプリンのゴールドラツシを見た時の事なのだ。あの時は悲しいチヤーリーの道化の姿に誰に遠慮もなく泣く事が出來た。しかし今、私は心には泣いても頬には空ろな笑ひを湛へなければならない。

なんということだろう、尾崎翠の「映画漫想(二)」が「女人藝術」に掲載されたのも1930(昭和5)年5月号のこと。ここで尾崎はチャーリー・チャップリン、そしてまさに「ゴールドラッシュ」について書いているのだ。しかも、どうやら洋画なのに新宿の武蔵野館ではなく、当時の上落合にあった公楽キネマで見たようなのだ。となると、樺山が書いた「場末のシネマ」とは公楽キネマのことで、尾崎翠と一緒だったのではないかと想像してしまった。

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chako

東北へ行ってました。
尾崎翠、全部プリントしてから読ませて頂きます!
by chako (2010-07-28 15:20) 

ナカムラ

chako様:コメントありがとうございます。東北はいかがでしたか?私もこの夏は公私ともに各地に飛び回っています。そのため、訪問もできずに失礼ばかり重ねています。
by ナカムラ (2010-07-29 11:21) 

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