「第七官界への引鉄」板垣直子と一冊の本 (3) [尾崎翠]

チャップリン

いま、ちよつとあの帽子をチヤアリイの頭から借りて來て大映しにしてみる。ながめたところ、ただひとつの、誰の頭に載つかつてても差支なさそうな山高にすぎない。(おまけに金鑛地の吹雪と公楽キネマの雨に打たれ、地は毛羽だち、つばは草臥れてゐるのだ)

チヤアリイの帽子への愛は、ゴオルド・ラツシユをたとへば四分の一見ればいい。これでチヤアリイの偏執はいやでも感じなければならないのだ。
  
ゴオルド・ラツシユは、ひとつの偉大な黒子を持つてゐた。ポテトオ・フオオク・ポテトオ。

尾崎がチャップリンの「ゴールド・ラッシュ」を見た公楽キネマは東中野駅から現在の下落合駅のちょうど中間あたり、当時の昭和通り、現在の早稲田通りに面していた。尾崎翠が住んでいた、したがい「映画漫想」を書いた上落合842番地の住まいから歩いて10分あまりの場所にあたり、近くにはMAVOのアーティストである村山知義と童話作家である村山籌子夫妻が住んでいた。「女人藝術」での執筆者という意味では神近市子も近所である。村山籌子が獄中の知義にあてた手紙を読むと、時に公楽キネマに映画を見にいっているので、暗闇の中で二人はすれ違っているものと思う。また、尾崎はチャップリンばかりではなく、階下の奥さんがファンだった阪東妻三郎の脇差ものも見にいっていた。空襲で焼けてしまい今はない公楽キネマである。この付近、1931(昭和6)年になると、住人の様子が変わってくる。ナップ本部がおかれたためにプロレタリア作家たちが引越してくるからである。壷井繁治・栄夫妻、中野重治、武田麟太郎、大田洋子などである。

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詩人の血

四季派の詩人、立原道造やら
未来派の安西冬衛、北園克衛などを
読むのでこの時代は妙に懐かしい・・・
by 詩人の血 (2010-07-29 07:28) 

ナカムラ

詩人の血様:コメントありがとうございます。立原道造記念館はちょっと残念ですね。

北園克衛は三重県立美術館で展覧会が開催されますね。楽しみです。私は世田谷でみるような気がしていますが。
by ナカムラ (2010-07-29 12:25) 

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