「第七官界への引鉄」板垣直子と一冊の本 (5) [尾崎翠]

昭和8年の『第七官界彷徨』

 尾崎翠が戦前に出版できた唯一の著作である『第七官界彷徨』は啓松堂からの刊行であると書いた。この出版社は1933(昭和8)年に集中して女流作品を出版する。『第七官界彷徨』は7月1日の発行である。ちなみに林芙美子の『わたしの落書』は3月31日発行。この『わたしの落書』には書籍広告が掲載されており、城夏子の『白い貝殻』と板垣直子の『文藝ノート』の2冊が掲載されている。『第七官界彷徨』の広告ページには加えて平林たい子の『花子の結婚其の他』が掲載されている。板垣直子の『文藝ノート』の発行は2月5日でもっとも早いようだ。この『文藝ノート』の装丁は雑誌「火の鳥」の表紙を描いていた丸岡美耶子である。かつ、この直前の「火の鳥」には板垣直子の原稿が連続して掲載されている。そして、このシリーズの書評や推薦を「火の鳥」が積極的に行っている。おそらくは「火の鳥」と何らかの関係があったのだろう。だが、一方では林芙美子、平林たい子といった「火の鳥」とは直接には関係が深くない作家がいて、このラインナップはまさに板垣直子の好みにみえるのである。

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  啓松堂昭和8年2月5日発行の『文藝ノート』表紙

「火の鳥」1932(昭和7)年1月号に板垣直子の「現文壇の展望」が掲載される。同じ年の5・6月合併号に「一人の作家と一つの思潮」、10月号に「梶井基次郎の文学」が掲載されている。この1932(昭和7)年を通じて常連のように執筆した中には大田洋子、栗原潔子、城夏子などがおり、啓松堂の同じシリーズとして刊行された城夏子の『白い貝殻』の表題となる作品「白い貝殻」は「火の鳥」5・6月合併号に掲載されたものであった。そして、7月号には尾崎翠の「こほろぎ嬢」が掲載されるのである。私はこうした客観的な状況から「火の鳥」への尾崎翠作品の掲載は板垣直子の推薦によったのではないかと考えている。
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kaiyan

ナカムラさん、いつもありがとうございます。
ナカムラさんの家ってたくさん資料ありそうですね。
暑いから無理をせず整理頑張って下さいね。
by kaiyan (2010-07-31 11:26) 

ナカムラ

kaiyan様:コメントありがとうございます。そうなんです、資料が山積み。少し整理しないとね、です。作品いつも楽しく拝見していますよ。これからも宜しくお願いします。
by ナカムラ (2010-08-01 00:39) 

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