「第七官界への引鉄」板垣直子と一冊の本 (7) [尾崎翠]
落合町山川記
この紹介が掲載される直前の「改造」1983(昭和8)年9月号には林芙美子の「落合町山川記」が掲載される。尾崎翠が兄に伴われて鳥取に帰ったのは前年8月末または9月初めのことだから、ちょうど丸1年経過したかしないかの時期に書かれた原稿である。
鳥取へ帰った尾崎さんからは勉強しながら静養していると云う音信があった。実にまれな才能を持っているひとが、鳥取の海辺に引っこんで行ったのを私は淋しく考えるのである。 時々、かつて尾崎さんが二階借りしていた家の前を通るのだが、朽ちかけた、物干しのある部屋で、尾崎さんは私よりも古く落合に住んでいて、桐や栗や桃などの風景に愛撫されながら、『第七官界彷徨』と云う実に素晴らしい小説を書いた。文壇と云うものに孤独であり、遅筆で病身なので、この『第七官界彷徨』が素晴らしいものでありながら、地味に終ってしまった、年配もかなりな方なので一方の損かも知れないが、この『第七官界彷徨』と云う作品には、どのような女流作家も及びもつかない巧者なものがあった。私は落合川に架したみなかばしと云うのを渡って、私や尾崎さんの住んでいた小区へ来ると、この地味な作家を憶い出すのだ。いい作品と云うものは一度読めば恋よりも憶い出が苦しい。
7月1日に『第七官界彷徨』は出版されているので、林芙美子はまだ手にする前にこの原稿を書いているのかもしれない。私には、『第七官界彷徨』一冊は板垣直子がいなければ存在しなかったと思われるのである。もし、啓松堂からのこの一冊がなければ、あるいは戦後の発掘がなかったかもしれないと思うと板垣直子の功績は大きい。ただ、仮に『第七官界彷徨』一冊の発行がなかったとしても、力のある作家だから、誰かが「女人藝術」、「新潮」、「婦人公論」、「火の鳥」などといった雑誌から一編一編を発掘していったことだろう。そうさせてしまうような魅力と強さが尾崎翠作品には溢れていると私は思う。
この紹介が掲載される直前の「改造」1983(昭和8)年9月号には林芙美子の「落合町山川記」が掲載される。尾崎翠が兄に伴われて鳥取に帰ったのは前年8月末または9月初めのことだから、ちょうど丸1年経過したかしないかの時期に書かれた原稿である。
鳥取へ帰った尾崎さんからは勉強しながら静養していると云う音信があった。実にまれな才能を持っているひとが、鳥取の海辺に引っこんで行ったのを私は淋しく考えるのである。 時々、かつて尾崎さんが二階借りしていた家の前を通るのだが、朽ちかけた、物干しのある部屋で、尾崎さんは私よりも古く落合に住んでいて、桐や栗や桃などの風景に愛撫されながら、『第七官界彷徨』と云う実に素晴らしい小説を書いた。文壇と云うものに孤独であり、遅筆で病身なので、この『第七官界彷徨』が素晴らしいものでありながら、地味に終ってしまった、年配もかなりな方なので一方の損かも知れないが、この『第七官界彷徨』と云う作品には、どのような女流作家も及びもつかない巧者なものがあった。私は落合川に架したみなかばしと云うのを渡って、私や尾崎さんの住んでいた小区へ来ると、この地味な作家を憶い出すのだ。いい作品と云うものは一度読めば恋よりも憶い出が苦しい。
7月1日に『第七官界彷徨』は出版されているので、林芙美子はまだ手にする前にこの原稿を書いているのかもしれない。私には、『第七官界彷徨』一冊は板垣直子がいなければ存在しなかったと思われるのである。もし、啓松堂からのこの一冊がなければ、あるいは戦後の発掘がなかったかもしれないと思うと板垣直子の功績は大きい。ただ、仮に『第七官界彷徨』一冊の発行がなかったとしても、力のある作家だから、誰かが「女人藝術」、「新潮」、「婦人公論」、「火の鳥」などといった雑誌から一編一編を発掘していったことだろう。そうさせてしまうような魅力と強さが尾崎翠作品には溢れていると私は思う。
数年ぶりに本を読み始めました~☆☆
by ピンキーリング (2010-08-03 06:39)
活発な投稿お喜び申し上げます!
シュタイナーの12感覚論が手際よく
高橋巌著「神秘学講義」に解説があります。
角川選書です。ネットの古本市場ででも・・・
by 詩人の血 (2010-08-03 21:42)
ピンキーリング様:コメントありがとうございます。 私は紙ものがすきなので本派です。
by ナカムラ (2010-08-04 17:45)
詩人の血様:コメントありがとうございます。『神秘学講義』ですね。ありがとうございます。図書館ででも探してみます。
by ナカムラ (2010-08-04 17:46)