鳥取と東京・落合の風景と(2) [尾崎翠]

2.落合に住んだ作家や画家たち

橋浦泰雄がみた1920(大正9)年の落合はまだ村の様子を残しているが、次第に郊外住宅地としてひらけていったようだ。落合地域における早い時期の在住文化人は詩人の川路柳虹(大正7年)や尾形亀之助(大正12年)、村山知義(大正12年)などであるが、萩原恭次郎などMAVOによったアヴァンギャルド詩人たちも住んだ。古屋芳雄、辻潤、会津八一なども早い時期の住人である。画家では金山平三、鶴田吾朗、中村彜、曾宮一念、佐伯祐三などが住んだ。落合が活況を示すのは目白文化村の開発と同時におきた関東大震災によってであった。被害の少なかった落合地域に移り住むものが少なくなかったのであった。世田谷に住んでいた熊本出身の橋本憲三、高群逸枝の夫婦もそうだった。世田谷で下宿していた家には震災で親戚が避難してきたので住めなくなり、同郷の友人、作家の小山勝清の紹介によって上落合の新築借家に住む。そして東中野の借家に転居するが、どちらも落合火葬場に近い場所であった。最初の上落合の住所はわからないが、日記での記述から後の樺山千代の住所地にほど近い場所との印象がある。小山勝清は1925(大正14)年頃には下落合に住んでおり、労働雑誌『人と人』や『家の光』に小説を書いていた。熊本出身の挿絵画家、竹中英太郎も小山勝清のそばに住んだ。橋本憲三は平凡社社員として白井喬二とともに『現代大衆文学全』の企画を進めた張本人であるし、高群は生田長江のひきで詩作品を中心に文章を執筆する機会を得ていた。なぜか、落合によった熊本県人たちは鳥取県人とのつながりが散見される。不思議な符合である。

五塵録.jpg
            橋浦泰雄『五塵録』表紙
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