鳥取と東京・落合の風景と(6) [尾崎翠]

6.尾崎翠の落合風景

 最後に尾崎翠の小説の中に描かれたと思しき描写を拾ってみたい。
  
西向きの窓から首を出した左側は、幾条かの径を持った原っぱで、原っぱが緩い傾斜で上ったところに杉林があって、杉林のさきがお寺の屋根である。(「詩人の靴」)

さて、私の新居は、旧居よりも一階だけ大空に近かったけれど、たいへん薄暗い場処であった。
私の新居には壁の上の方に小さな狐窓しかなかったのである。
私は狐格子のあいだから柿を取ってはたべ、またたべてから、新しい住居の設備をした。
九作氏の住居は火葬場の煙突の北にある。木犀が咲いてブルドッグのいる家から三軒目の二階で階下はたぶんまだ空家になっているであろう。(「歩行」)

時は五月である。原っぱの片隅に一群れの桐の花が咲いて、雨が降ると、桐の花の匂いはこおろぎ嬢の住まいにまで響いていた。(「こおろぎ嬢」)

夕方の六時になって火葬場の煙突が秋の大空に煙を吐き初めると、私は部屋にじっと坐っていられなくなった。私は三日前の夜からチャアリイを恋しているのだ。
木曜のポテトオダンスが終って小舎を出た私は行き場を失った。しかしともかく薄暗い横町を拾って屋根裏へ帰るより他に行き場もない。(「木犀」)

通りを横ぎってバナナの夜店のうしろから向うにはいって行くんだ。少し行くと路の両側が大根畠になっているだろう。するともう遠くの方で鶏小舎の匂いが漂ってくるから、この匂いを目あてに歩けばいいんだ。(「第七官界彷徨」)

木犀の花は秋に咲いて、人間を涼しい厭世に引き入れます。咽喉の奥が涼しくなる厭世です。おたまじゃくしの詩を書かせてくれそうな風が吹きます。火葬場の煙は、むろん北風に吹きとばされて南に飛びます。(「地下室アントンの一夜」)

ふたたび林芙美子の「落合町山川記」を引用したい。

尾崎さんは鳥取の産で、海国的な寂しい声を出す人であった。私より十年もの先輩で、三輪の家から目と鼻のところに、草原の見える二階を借りてつつましく一人で住んでいた。 尾崎さんはもう秋になろうとしている頃、国から出て来られたお父さんと鳥取へ帰って行かれた。尾崎さんが帰って行くと、「この草原に家が建ったら厭だなア」と云っていたのを裏切るように、新らしい三拾円見当の家が次々と建っていって、紫色の花をつけた桐の木も、季節の匂いを運んだ栗の木も、点々としていた桃の木もみんな伐られてしまった。 時々、かつて尾崎さんが二階借りしていた家の前を通るのだが、朽ちかけた、物干しのある部屋で、尾崎さんは私よりも古く落合に住んでいて、桐や栗や桃などの風景に愛撫されながら、『第七官界彷徨』と云う実に素晴らしい小説を書いた。

故郷に似た緑濃い風景は翠の帰郷とともに失われた。なんという符合だろう。

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