霧のポジ、太陽のネガ<一原有徳さんを偲んで>(1) [アート]

1.仲人のような存在だった一原さん

 「その時」を知ったのは妻の携帯へのメールからだった。そして妻の実家から電話も入った。新聞で確認するとそれは真実だった。訃報が掲載されていた。100歳という年齢、死因が老衰と記載されており、天寿を全うされたのだなとある意味安堵した。我々は2010年、北海道に関係の深い二人の貴重な才能を失うことになった。ひとりは舞踏家の大野一雄さん(6月1日)であり、もう一人は版画家であり、俳人でもある一原有徳さん(10月1日)である。最近の一原さんとはお会いする機会もなく、従ってどういう生活をされていたのかも知らなかった。東京高輪のギャラリー・オキュルスの主人・渡辺東さんとお会いすると「一原さんはどうされているのかなあ・・」と話し合うことがあるくらいであった。渡辺東さんは推理作家・渡辺啓助さんの四女で、ご自身がイラストレーターでもある。啓助さんと一原さんは仲が良かったそうだ。私の記憶の中にある一原さんは小柄な体つきなのに日高山脈の極めて難しい沢を軽々と踏破してしまうような身軽な柔軟さをもち、おそらくは絶妙なバランス感覚もお持ちだったのだろう。そして、何よりやさしい笑顔が素晴らしかった。私と妻は共に一原さんが書いた小説「乙部岳」(70年の太宰賞の候補作)のファンでもあって、義経伝説を残すという山里よりも、山の中腹にあったという芥子畑をもつ隠れ里に思いを馳せ、機会があれば沢をつめてこの頂に登りたいものだと話し合っていた。81年だったろうか、本気でやってみようかと思い、手稲山の裏に流れる発寒川を訓練場所にして沢登りを妻に教えた。結局、その夏は天候が不順で乙部岳に登ることは諦めたが、そうした時間を過ごすことで妻と結婚することにつながったのだった。私たち夫婦にとっては一原さんは仲人のような存在である。
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アヨアン・イゴカー

>舞踏家の大野一雄
妻にとっては偉大な存在のようですが、私は好く知りません。それでもテレビで少しだけ見た時、この舞踏家の不可解さは、痛快でした。
まるで、静止画像のようで、動の対極にある静が。
白虎社なども、面白そうな舞踏だとは思います。
by アヨアン・イゴカー (2011-05-01 11:17) 

ナカムラ

アヨアン・イゴカーさま:コメントありがとうございます。ぜひ機会がありましたら、大野一雄の記録映像などご覧ください。世界のダンサーの中で後世に残る数少ない日本人の一人です。その多くの記録はイタリアのボローニャ大学にアーカイブされました。おくれて横浜市がアーカイブを始めています。函館生れでした。
by ナカムラ (2011-05-01 12:00) 

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