竹中英太郎と『新青年』との1928年(7) [竹中英太郎]
僕と渡邉温君と二人で編輯する、これが最後の「新青年」である。十月號からは延原謙、水谷準の兩氏が我々に代つてこの雑誌を編輯する事になつた。(横溝生)
5月に横溝と英太郎は出会ったから、わずかに3カ月たらずのコラボレーション期間であった。ただ、作家 横溝正史との関係は続いた。激動の昭和3年、職業挿絵画家としての成功と本来の目的である無産者運動への回帰との二つの間で英太郎は揺れていた。そして、新たな絵画表現に取り組んでいくことになる。その兆しを10月号の久山秀子の「隼探偵ゴツコ」の挿絵にみることができる。時代感覚をまとい始めた英太郎作品がそこにはある。
『新青年』昭和3年10月号久山秀子「隼探偵ゴッコ」
『新青年』昭和3年7月号甲賀三郎「瑠璃王の瑠璃玉」
5月に横溝と英太郎は出会ったから、わずかに3カ月たらずのコラボレーション期間であった。ただ、作家 横溝正史との関係は続いた。激動の昭和3年、職業挿絵画家としての成功と本来の目的である無産者運動への回帰との二つの間で英太郎は揺れていた。そして、新たな絵画表現に取り組んでいくことになる。その兆しを10月号の久山秀子の「隼探偵ゴツコ」の挿絵にみることができる。時代感覚をまとい始めた英太郎作品がそこにはある。
『新青年』昭和3年10月号久山秀子「隼探偵ゴッコ」
『新青年』昭和3年7月号甲賀三郎「瑠璃王の瑠璃玉」
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