たいせつな風景・S市点描「水へ。流れはどこに向かうか」(1) [小説]

 「火を貸してくれないか」という言葉に振り返ると、長髪で背の高い男の笑顔があった。H大学教養学部に付属した食堂で遅めのランチを食べおわってソファで煙草をふかしていた時のことだった。ライターを差し出すと「どうも」といって受け取ると両切りのキャメルに火をつけた。それがRyuとの出会いだった。Ryuとは第二外国語の選択が違ったので、クラスも違っていた。あるいは何かの講義では一緒だったかもしれないが、お互いに気にしたことはなかった。Ryuは僕に連れがいない一人きりだとわかると「坐ってもいいか」ときいた。「どうぞ」と答えると僕の前のソファに腰かけた。お互いにどこのクラスなのかとか、講義はなにをとっているのかなど当たりさわりのない会話をした。その間、何本もうまそうにキャメルをふかした。

 Ryuはちょっと迷った様子を見せたが、「いきつけの喫茶店があるんだけれど、いってみないか」と誘ってきた。初対面ではあったが、話しているうちに僕に何かを感じたのかもしれない。S市出身で浪人もしてH大学に入学してきたRyuには、すでに仲間もいればいきつけのサテンもあって当然だのに、なぜ僕を誘うのかよくわからなかった。医学部の脇をぬけると広い通りに出る。そこを突っ切ると「DUG」はあった。「いらっしゃい」とカウンターの奥からやわらかい声がした。瑞枝さんはやさしい笑顔で迎えてくれた。常連が並ぶのだろうカウンターに座った僕はまわりを見まわした。どうやらH大学の学生もいるが、近くにある女子大学の学生が多いようだった。瑞枝さんが作るケーキがその原因であるのだと知るのは少し後のことだ。Ryuだって僕のことをよく知らないくせに、瑞枝さんには昔からの知り合いのように紹介した。「ご注文は」の笑顔が美しかった。S市は水がおいしい。だからだろう、古くから喫茶店文化が花開いていた。一般的にいってどこのコーヒーもおいしいのだ。「ブレンドをください」「かしこまりました」豆をひいてドリップする。カウンターには大きな青い花瓶があってユリの花がいけてあった。その白い花弁に黄色い花粉が散っているのが見えた。ユリ独特の匂いが揺れていた。入ってくる常連らしき面々が次々にRyuに声をかけてくる。「ねえ、ここにはいつも?」「うん、出入りしだしたのは高校生の時からだからね。浪人の時はほとんど毎日来ていたかもしれない」「ねっ」とRyuは瑞枝さんにウインクした。瑞枝さんはいたずらっこをあやすような表情をした。僕はグラスの水を飲みほした。僕も常連になるのだろうなと予感した。

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