平林たい子と柳瀬正夢、落合での二人(1) [柳瀬正夢]

 作家、平林たい子には1933(昭和8)年に啓松堂から出版された作品集『花子の結婚其の他』がある。啓松堂から出版されたこのシリーズは雑誌『火の鳥』によった女性作家たちの作品集として刊行されており、評論集をだした板垣直子を皮切りに林芙美子、城夏子、尾崎翠などの著作が出版された。『花子の結婚其の他』の冒頭には満州から帰ってきた若き日の平林たい子自身を描いた私小説的な作品がおかれている。平林が満州に行ったのは1924(大正13)年のことだった。そこに登場するのは「画家のY氏」、つまり柳瀬正夢のことである。小説によれば、神戸の知人の家にやっかいになっているときに住所録をあけたら偶然に活動家のYの住所があり、見もしらぬYに平林は結婚してほしい旨の手紙を送ったというのだから驚かされる。見も知らぬ女性から突然にこんな手紙を受け取ったらいたずらと思うか、気味悪く感じるかのどちらかだろう。ただし、この時すでにYは記載の住所から転居していた。平林は返事が返ってこなかったのが返事だろうと思ったという。返事があるかもしれないと考えたのだから、当時としては可能性のある行動だったのだろうか。その前なのか後なのか、平林は上落合の村山知義のところにリャク(略奪のこと)に行ったりもしたようである。当時のアナキストは刃物を携えて脅しに行ったり、場合によってはピストルを持参して居宅を襲ったようだから物騒である。後にコミュニストになる村山知義もドイツからの帰国直後は芸術への関心ばかりであり、アナキストの襲撃を極端に恐れていたようである。村山や柳瀬が中心になった芸術家集団マヴォにはアナキストも参加しているが、村山とは和解のための儀式のようなこともされたようだ。岡田龍夫などはその典型であったろう。またマヴォはその機関誌として『MAVO』を発行したが、そこには萩原恭次郎が編集として5号から加わったことによって多くの詩人が参加した。当然アナキズム詩人もそのなかにはいた。
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