闇に輝き顕れるもの(1) [本]

その作家の存在を初めて知ったのは雑誌『北方文芸』1981(昭和56)年2月号においてであった。私は北海道大学在学中に短歌会を組織し、機関誌『刹』を発行していた。『北方文芸』の「短歌時評」に『刹』のことが掲載されていたので参考に購入したのだった。この号に小説「撃つ夏」は掲載されていた。「鬱夏」ではなく「撃つ夏」というタイトルに少し違和感を感じながらも、その小説を読んだのだった。作家の名前は佐藤泰志と印刷されていた。「撃つ夏」は当時の時代感覚からかけ離れ、重くそして暗く感じられた。読み進めるのが苦しかったのを今でも覚えている。ところが現在、『黄金の服』(1989年 河出書房新社)に収められた「撃つ夏」を読んでみると確かに明るくはないが、当時の印象とは違い、現在の時代感覚と妙にフィットしているのに驚いた。ともあれ、当時は読み進めるのが苦しいと感じるほどに暗く厳しい作家として佐藤泰志の事を記憶したのだった。『佐藤泰志作品集』(2007年 クレイン)に掲載されている年譜で確認すると、佐藤泰志は1949(昭和24)年4月26日に函館市高砂町(現若松町)に生まれた。1970(昭和45)年に上京、中野区上高田に住み、4月から國學院大学文学部哲学科に入学している。上高田は私の住む落合の隣町であり、そうか佐藤泰志もこのあたりに足跡を残したのだなと妙な感慨を感じたのだった。國學院在学中にも小説を書き続け、1981(昭和56)年3月に函館市に転居している。「撃つ夏」は佐藤が故郷の函館に転居する直前に書かれた作品ということになる。私自身、1978(昭和53)年4月から1982(昭和57)年3月まで札幌に住んでおり、佐藤が短期間だけではあったが郷里に戻っていた、まさに同じ時期に凾館に訪問したりもしていた。もしかするとどこかですれ違っていたのかもしれない。そして、この時期に『文藝』九月号に掲載された「きみの鳥はうたえる」が芥川賞の候補作に選ばれた。それもあってか1982(昭和57)年3月に佐藤は東京に戻っており、国分寺市に住んでいる。結局は函館に戻ったのは1年間のみであった。ここでも私の異動とシンクロしている。私はその年の4月に東京に転居している。同年、「きみの鳥はうたえる」を含んだ『きみの鳥はうたえる』が河出書房新社から刊行されたのだった。残念なことに私は刊行直後には読んでいない。
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