「あなたへ あなたと」――YOU project(1) [メールアート]

 その日は突然に来た。数日前から予感はあった。ハワイのキラウェア火山の噴火があって危険だと思った。しかし、まさか東北を震源とする巨大地震が起きようとは予測できていなかった。漠然と東京に大きな地震があるかもと思っていたのだった。その時、私は新宿のビルの一室にいて仕事をしていた。足の裏をちょっとたたくような震動のような、たとえると岩が割れるような微かな感触が伝わってきた。私は立ち上がり、皆が地震だと気付く前に「落ち着いて行動するんだよ」と叫んでいた。微かな震動は大きな縦揺れに変わり、やがて横揺れが加わった。かつて経験したことがないような揺れであり、時間も長かった。いつまでたっても終わらなかった。壁に亀裂ができて大きく口をあけた。やがて無限に続くかと思われた激しい揺れも収まった。この地震、多くの海外からの旅行客が動画に撮影、その映像をフェイスブックなどSNSを経由して世界中に配信したという特異な現象を生んだのだった。インターネットの中で配信された映像のなかの新宿高層ビル群は激しく揺れ、ビル同士がぶつかりそうになっていた。こうした映像をみた海外のメールアーティストから一斉に安否を問い合わせてきたのだった。今考えれば当たり前のことなのだが、妻の実家のある北海道・森町への電話連絡よりもアルゼンチンの友人へのフェイスブックを経由しての「私は大丈夫」のメッセージのほうが順調に届けられたのだった。その後の津波の映像も、福島第一原発の爆発の危機も海外から私のもとへSNS経由でリアルに届けられたのだった。

 3月11日は金曜日であった。土曜日、日曜日と都市全体が沈んで、うちひしがれていた。物理的にも照明を落としていたので暗く感じた。津波が襲った東北地方の海岸部は火に包まれていたり、あとかたもなく町が消えたりとあまりに大きな被害にあっていた。言葉を失う光景であった。そんな中、「ときたま」アートの土岐小百合さんからメールが届いた。「大きな被害でじっとしていられない。なにもできないのかもしれないが、何かしないとおかしくなってしまいそう。なにかできないかなあ」ということだった。このメールはおかどめぐみこさん、平戸加代さんにも送られていた。結局この4人でなにか我々の手作りの範囲でできることをやろうということになり、3月15日の夜に新宿駅西口地下の喫茶店に集った。そこくらいしか夜は営業している店がほとんどなかった。4人は暗い町、余震の続く環境に少し興奮したまま、「何かをする」を形にしてゆく議論をした。被災した地域の人たちと気持ちを共有したい、なんとか応援メッセージを届けたい、できれば世界中の人たちからのメッセージを届けたいという点で我々は合意した。それをメールアート・ネットワークを使って形にしよう。その後の展示などは別に考えようと結論した。そこまでの議論が済むとその後の行動は早かった。すぐにこのプロジェクトを「YOUプロジェクト」と命名し、ハガキに「あなたへ あなたと」と印刷したものにコラボレートしてもらうことにした。海外の方々にも参加いただくために説明文を英語へと翻訳、インターネット内にホームページを立ち上げて、そこでプロジェクトの告知を行い、あわせて届いたハガキを紹介するという展開方法を決めた。横浜バンクアートでの「ときたまメールアート」は印刷したハガキを海外のメールアーティストに郵送したが、今回はホームページにアクセスしてもらい、データから各自ハガキに印刷してもらい、コラボレートしてもらう形式とした。
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