たいせつな風景・S市点描「小川の流れと「きりん製作所」の路地(4) [小説]

 前年から続いていたS市からみると西南にあたる火山の噴火は少し落ち着いてはいたが、ときどきはS市にも火山灰を降らせた。面白いことに火山灰がふると紫陽花の花がピンクに変った。酸性の火山灰の作用のようだった。ニュースによれば激しい火山活動はおさまったが、山頂部分に新たなドームができつつあるとのことだった。小川の周囲の公園には子供たちやその親たちが遊ぶ姿が目立つようになってきていた。柳はすでに濃い緑の大きな葉になっており、重量感を感じた。登山のサークルに加わったこともあって、きりん製作所のある路地に踏み込むこともしなくなっていた。そして夏が近づいていた。

 夏休みは日高山脈と大雪山への登山に行った。その後実家のある町に帰ることにした。S市からみれば遥かに南にある町である。S市から空港まではバスに乗ることになる。バスの座席に座りながら、ひさしぶりに沙和子さんのことを考えた。すると、バスの天井のすり硝子を通して部分的に欠けた太陽が見えた。事前には知らなかったが、日蝕が始まっていた。まるで沙和子さんが太陽をかじったように感じた。部分日蝕であったのだが、それでも最盛期には少し薄暗く感じた。実家から帰ってくると小川には大勢の子供たちが水遊びに来ていた。水着を着た小さな子供たちが、ばしゃばしゃと歩いたり、水を手ですくってかけあったりしていた。逆光でみると水がきらきらと輝いていた。近くにあるプールから帰る少し大きな子供たちも日焼けした体を見せていた。小川に沿った道をたどり、路地に入った。あれっ?と思った。青い扉はあるのだ。しかし、そこには「きりん製作所」と描かれた看板がなかった。確かめてみる。たしかに青い扉はきりん製作所のものだ。見覚えがある。窓も同じだ。でも、室内に楽器の姿がない。いくら待っても大型の弦楽器の音は響いてこなかった。

 あとで知ったのだが、白鳥さんは夏にでかけた日本海につきでた半島での車の事故で亡くなっていた。木々の葉が色づくころに藤棚の下で偶然に沙和子さんに出会って聞いた。
 「沙和子さん、チェロやコントラバスを作っていたのに、どうしてきりん製作所という名前だったのか知っていた?」
「いいえ、聞いたことはありませんでした・・・。」

いつかM動物園でみた、きりんのまなざしを思い出した。きりんは遥か遠くを見つめていた。S市のきりんは一体何を待ち望んでいたのでしょうね。ねえ白鳥さん、あなたにもわからないですか。すると、聞こえるはずもないバッハのチェロ曲が耳に響いてきた。沙和子さんをみると、彼女にもその音が聞こえているようだった。お互いに「さようなら」も言わずに別れた。沙和子さんのむこうに見える西の空は真っ赤に燃えていた。

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