たいせつな風景・S市点描「水へ。流れはどこに向かうのか」(4) [小説]

 夜のポプラ並木は美しいが、荘厳さは僕らに恐れを感じさせるほどだった。両側のポプラの枝や葉がまるで額縁になる。額縁の中にはあふれるような星の川が流れていた。暗闇の天の川がこれほど美しいとは知らなかった。僕たちは圧倒された。風が来て梢を揺らす。「本当にきれいだな。・・・・あくせく生きているのが無意味に感じるよ」とRyuは言った。

  大きな講堂で講義を聞いていた最中、緑のローンの中の大きな春楡の木が風もないのに音も立てないで倒れたことがある。地響きは凄かった。まわりに人がいなかったのは幸いだった。一人のけが人もでなかったが、その年は3本の春楡が自然に倒れたのだった。木が古くなったからね、と囁かれていたが、僕にはそうは思えなかった。原因は水だと直感していた。水源の水もまわりのビルの影響でローンに流れこまなくなっていたが、それよりも大きな原因は、地下の水脈をビルの土台が切ってしまったことにこそあると思った。水が豊富だったローンに水がこなくなり巨木たちは倒れたに違いなかった。

 ほとんど毎日「DUG」に寄るようになったある日、瑞枝さんが固い表情のままカウンターでぼうっと立っていたことがあった。「どうかしたの」と聞いても答えてくれなかった。いつもの笑顔にはなれないものの、硬い表情を作り笑顔でごまかして「ホットでいい?」と聞くやいなやコーヒー豆を挽き始めたのだった。この日、Ryuには会えなかったのだが、翌日、瑞枝さんに何かあったのかと聞くとRyuも顔を曇らせた。ちょっと複雑なんだけれどと彼はわけを話した。瑞枝さんが「DUG」で働いているのはオーナーで元マスターのことが好きだからで、周囲の誰もが二人は将来結婚すると思っていたのだという。けれど、二人の間に割って入った女性がいたのだ。それがMinamiだった。マスターはなりゆきからMinamiに責任をとらされることになった。「ひどいじゃないか・・」と抗議しても僕の目の前にはRyuしかいない。「僕もそう思う。でも仕方ないじゃないか、三人してそう決めてしまったんだから」。

 その日、僕は「DUG」によって瑞枝さんを海に誘った。二人して夜の海を見たかったのだ。瑞枝さんはマスターに電話して体調が悪いから早引きすると伝えた。カウンターで待っていると長身の男が入ってきた。それが初めて会うマスターだった。ラフなかっこうながら、品の良い高級な服を身につけていたし、靴も時計も完璧だった。「マスター、それじゃあ後をお願いします」とお辞儀をして瑞枝さんは店をでた。そして伸びをしながら「さあ、海を見るかあ」とはしゃいだ大きな声を出した。西の空が真っ赤に燃えていた。列車に乗って北に向かうと日本海にそって列車は走ることになる。そばに漁港のある小さな駅で僕らは降りた。海岸に出ると月明かりで海が鈍色に輝いていた。「きれい」と瑞枝さんが息をのんだ。僕もこんな海を見たことがなかった。水は月に照らされて水とは思えない色や貌を見せていた。この下に生物が住んでいるなど信じられなかった。瑞枝さんは僕の肩に頭を載せたまま黙っていた。僕はかける言葉も見つからず、どんな風に瑞枝さんを慰めていいのかもわからなかった。月は出ているが星もすさまじかった。ちょうど岩によって家の灯りが遮られているので闇が深かった。頻繁に星が流れた。

 結局、瑞枝さんは「DUG」をやめてどういうきっかけだったのか京都の男性のもとにとついでいった。京都から届いたハガキには「私は幸せになる。月夜の海はきれいだったな。忘れられないよ。」と記されていた。Ryuもなんだか「DUG」から足が遠のいたようだった。僕にもRyuたちとは違う友人たちが沢山増えて、僕なりの世界をつくり始めていた。水は柔軟にその姿を変える。人も同じだなと思う。僕は水が織りなす風景に包まれていたい。木は垂直に水を地下から空に立ち上げる。まるで大地のストローだ。風に水のにおいをかいだ。瑞枝さんの髪の香りを思い出した。

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