たいせつな風景・S市点描「一度だけの赤いシャツ」(2) [小説]

 冬の間、登山には行かなかったが、それによって自由になる時間が大幅に増えたわけではなかった。東京から歌人が来てそのアテンドをしたり、学業があったり、映画に行ったり、本を読んだりと僕なりに忙しく過ごした。もちろん大学の仲間との飲み会にも参加したし麻雀もやった。雪は降り積もり、降り積もりして見たこともない高さの壁となっていった。しかし3月ともなれば日足が伸びて、あいかわらず雪は降ってくるが、春の気配も確実に感じられるのだった。Satoshiからは時々電話があった。画廊ですれ違うことや喫茶店で出会うこともあった。彼の頭の中は次に開催する個展のアイディアで占められていたようで、それを僕がどう感じるかと聞いてくることが多かった。十字架の形をした大きな白いオブジェを部屋に構成、それを観客に自由に動かしてもらい、観客も作品構成に直接参加してもらおうというアイディアだった。

「面白いんじゃないか」と告げるとうれしそうに笑った。
「じゃあ、手伝ってくれるよね」と言われると断れなかった。

町の中心からみると西側にある彼のアトリエというか作業場に通って作品制作を手伝った。彼のアトリエも色彩的にはモノトーンだった。それに、この日もSatoshiはモノトーンな服装だった。僕が着て行ったエメラルドグリーンのセーターが部屋の中では浮いてしまい、全く場違いな空気を醸し出していた。しかし彼はそんなことは全く気にしていないようだった。合成材を電動ノコギリで切断、それを箱状に組み上げて形に作ってゆく。それを組み合わせて十字架を作るのだが、僕は彼の指示通りに組み上げていった。それが終わると十字架を白いペンキで塗る作業を手伝った。Satoshiのアトリエの窓にぶらさがっている大きな氷柱は、通っているうちに日中の強い日差しに溶けだしてきていた。水の落ちる音が雨の時とは全く異なる音で、そしてリズミカルに聞こえていた。それは春の足音であるとも考えられた。

 僕たちは何日もかけて白いモノトーンの大きな十字架をいくつも仕上げてゆき、その間に一緒にご飯を食べ、ラーメンをすすった。何杯もコーヒーを飲んだ。最後の十字架の作成作業は会場への搬入の前夜になり、深夜までかかって白く塗りあげたのだった。僕はそのままソファで横になって寝た。短い眠りの中で空を飛ぶ夢を見ていた。だが夢はモノクロだった。空は青く感じるのだが、実際の映像ではグレーだった。昔、白黒テレビを見たり、モノクロの映画をみたりしても空の青さを実感できたが、そんな感じだった。空を飛んでいる僕は誰かと手をつないでいたが、それが誰なのかはわからなかった。手は女性の手であった。いくつもの分厚い雲を飛び抜けると眼下に大きな町がみえた。そこで急降下してしまい教会の尖塔にぶつかりそうになったが、つないでいた女性の手が強く僕のことを引き上げてくれ、かろうじて衝突を免れた。ジェットコースターに乗っているような感覚を覚えた。そこで目がさめた。Satoshiはすでに起きていてフレンチトーストを作っていた。

「おはよう。コーヒーでいいかい。それとも紅茶にする。」キッチンから笑顔でSatoshiが聞いた。窓からは明るい日差しがさしていた。アトリエには個展会場に搬入・展示する十字架が50本も整然と並んでいた。自分たちで作ったモノでありながら、こうして部屋に十字架が並んでいるのは全く不思議な風景であった。外は快晴で、雪に日光が反射して二倍ほどに眩しく感じた。さっそく氷柱は溶けていた。リズミカルな水の落下音が耳に心地よかった。僕たちは十字架を運搬してくれる運送会社のトラックが来るのを待った。

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