たいせつな風景・S市点描「二度目もすれ違い」(3) [小説]

未舗装の乾いた道の両側には空につきささるようにポプラの木が屹立している。空はどんよりと曇っていて今にも雨が落ちてきそうである。

馬が大きな荷馬車をひいている。まわりは何かの畑であって馬の体からは湯気がたっている。空にはカラスが群れている。

港に面した市場のお母さんが手に大きな魚をもって叫んでいる。深いしわが刻まれているが、それが人の年輪のように見える。

雪が舞う中を路面電車が大きく曲がってくる。電線が火花を飛ばした。周囲のビルにはさまざまな店の看板が光っている。人は快活に笑いながら、でもちょっと寒そうにポケットに手をいれて歩いている。

レンガ造りの倉庫には鉄の扉がある。ペンキが剥げて錆がまだらに浮かんでいる。でもそれが美しい造形となっている。昼の月が頭上にうすぼんやりと浮かんでいる。

片流れの大きな屋根をもった平屋の家には煙突がかならずある。屋根はカラフルな色のトタン屋根だ。屋根には雪が一気にすべりおちてこないために木の棒が打ちつけられている。

車の通行量の多い幹線道路の道沿いに白い幹の広葉樹が植えられている。それがコントラストをつくっていて美しい。ときどき放牧された牛を見ることができる。その先には湿地帯があって初夏には美しい花を咲かせる。

公園を流れる川に夏になると多くの子供たちが水遊びにやってくる。あひるのおもちゃをもった女の子がバランスを崩して尻もちをついた。逆光の中で若い母親が飛び出してきて泣いている女の子を抱きかかえる。

街の真ん中に大きな植物園があって緑の芝生には学生たちが昼寝をしている。ときどき松ぼっくりが落ちてくる。みあげるとカラスが落としたようだ。

時計台の北には水色のペンキで美しく塗装された二階建ての木造建築があって、紙屋を営んでいる。そこからみあげると時計台のむこうに上る月をみることができる。

その街はネオンだらけだった。派手なネオンが光り続ける。路上には客をひく男たちがいて、手には看板をもっている。朝方まで人通りが絶えることはない。こんな街の真ん中にも「番外地」はある。

南側にある山を最後に北側にひろがる台地は平坦である。地下水が豊富で、湧き出した水が池や湿地をつくる。街中でもそのような場所がある。平坦な土地には高さの高くない家が作られているが、そうした中に旧式の工場があったりする。

桜が咲く、梅が咲く、こぶしが咲く。一気にあらゆる花が咲く。春は激しい季節だ。一刻も早く春を享受したいと声をあげながら成長してくるような植物たち。閉ざされた冬から解放された人々が暖かな空気を満喫する。S市の春は生命の祭典だ。あらゆる命が一時に活動を始める。僕の大切な風景よ、僕の記憶の中にある都市よ。モノクロの印画紙に記録された風景をみつめながら、記憶の中の色彩やにおいまで思い出していた。二度と出会うことのできない都市。いとおしい記憶の中でしか出会えない都市。

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たいせつな風景・S市点描「二度目もすれ違い」(2) [小説]

僕の耳には石川さゆりの歌声が響いていた。

「北に帰る人の群れはだれも無口で・・・」

そして僕は、海鳴だけを聞きながら船の人になったのだった。

 「本当に久しぶりだねえ、珈琲でもどう?」と「彼」は覚えたばかりの喫茶店に僕を誘った。そこは近くに新聞社のある「ルナ」という店だった。長いカウンターだけの店で、Kさんというママが一人で切り盛りしていた。「彼」はS市の画廊で開催される写真を展示する個展のために来たということだった。良い機会なので、しばらくS市に住んで周辺の写真を撮影するつもりだと僕に告げた。

 「だけど、僕たちはどういうめぐりあわせなんでしょうか。偶然の出会いを二度もするなんて・・・。驚きですね。」

 「本当だね。僕も驚いた。君をみつけて思わずシャッターを切っちゃった。何年生になった?」

Kさんはカウンターの中で僕たちを不思議そうに見ていた。僕もたまに訪れることのある店だったので、東京から来たばかりだけど毎日通い始めた「彼」と僕がどうつながっていたのか想像できないようだった。梅雨のないS市の6月は本当に気持ちの良い季節である。あたりはニセアカシアの花が満開であった。

 ある日、Kさんから電話があって「O市に行こう。」との誘いだった。「彼」も一緒にゆくとの事だった。「お寿司を食べに行くよ。」が目的だった。Kさんの車に乗って海岸沿いの道を走った。海からの風が心地よく、僕たちは饒舌になった。海からそそり立つ岩には海鵜の黒い姿が見えていた。波の音が響いている。S市には海はないのだが、こうして車で走れば海は遠くなかった。岩の間を道は縫うように抜けてゆく。初夏の光線を受けて海はきらきらと輝いていた。「彼」はカメラを取り出してシャッターを切り始めた。そのリズミカルな音が心地よかった。O市には大正時代につくられた運河が町の中心にあって淀んだ水をたたえていた。これが悪臭の原因でもあるとのことから埋め立ててしまえという意見が出ていた。しかし運河は歴史的な遺構でもあり、周囲には時代のあるレンガ倉庫や建造物が並んでいた。古くはあるが愛おしい街並みであった。レンガの倉庫群は本来の役割を終えて運河のまわりに静かにたたずんでいた。そこに工芸作家や美術家が移り住んで、アトリエとして使い始めたころだった。そんな一角に「海猫屋」はあった。レンガ倉庫を改造して喫茶店兼バーにしていたが、その一方で土方巽の暗黒舞踏の流れをくむ北方舞踏派の稽古場にもなっていた。彼らは「海猫屋」を拠店として活動していた。近くの寿司屋で握りを食べたあとで僕たちは珈琲を飲みに訪れたのだった。吹硝子のランプがともっていた。

 「この町の空気みたいなものを撮りたくなりました。独特の空気、臭いがありますね。光線もまるでヨーロッパのように斜めの角度ですし・・・」

「彼」はS市の何の変哲もない街並みや普通の人々をフィルムにとらえ続けたが、「彼」のフィルムにはO市の北方舞踏派や鈴蘭党といった舞踏集団の姿も写しこまれていった。一体「彼」は何本のフィルムにS市や周囲の土地、人々を収めたのだろう。「彼」は夏の間をS市の北東部の平坦な土地にあるアパートの一室で過ごし、冬の初めまではいたのだが、東京で仕事が入って帰らねばならなくなった。最後に一緒に夕飯を食べてわかれた。根雪にはなっていなかったが、雪を見てから東京に向かったのはよかったようだ。「彼」が撮影した写真には80年代はじめのS市の情景が確実に記録されていて、僕の記憶の中の当時のS市を常に喚起する。それきり「彼」と二度と会う事はなかった。


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たいせつな風景・S市点描「二度目もすれ違い」(1) [小説]

 すれ違いざまにシャターをおされた。大きなシャッター音が響いた。どうやら歩きながら立ち止りもせずに彼は僕の写真を撮影したのだった。驚いている僕に彼は「やあ」と笑いかけた。一瞬とまどったが、その笑顔が僕の記憶の中の「彼」と一致したのだった。「わあ、おひさしぶりです。どうしたんですか。」僕の問いかけに彼は照れ臭そうに頭をかいた。「彼」がまさかS市の市街を歩いているとは思わなかった。彼と出会ったのは2年ほど前のことだった。

 僕にとって初めてのS市の夏は急ぎ足で去っていった。やがて周囲の山から木々が色づき始めたのだった。秋のある週末の夜、思い立って南に向かう特急列車に飛び乗った。月のない夜だったのか窓から見える空にはこぼれ落ちてきそうなくらい星があふれ、とけあうように輝いていた。それは恐ろしいくらいに美しかった。窓には僕の姿も映っていて、そのむこうがわの森は黒くて深かった。列車の揺れは大きかったが、レールの継ぎ目を通る時のリズミカルな音が子守唄になって、いつしか眠りにおちていた。目がさめるとすぐに列車は終着駅についた。ここで大きな船に乗り換えて南に向かうのだ。船には畳敷きの部屋があって再び眠ることができた。やがて船はまだ朝日が昇っていない南の港についていた。まだ眠くてしかたがない僕はその駅の待合室で目をつぶって休んだ。そんな僕の耳に構内放送が聞こえた。その日最初のアナウンスは始発バスの案内だった。深く考えずに案内されたバスに乗り、なにとはなしに訪れた湖に「彼」はいたのだった。もともと「彼」もそのバスの乗客だった。出発の時には「彼」や僕のほかにも乗客はいた。しかし長い路線を走るうちに一人二人と降りてゆき、湖の入口にあるバスの終着停留所に着く時には僕と「彼」だけになっていたのだった。バスをおりて湖にのびる道を歩き、橋をわたり始めた時にはじめて「彼」を意識したのだった。その橋を僕も「彼」も歩いていた。「彼」は橋の上から湖にレンズをむけて何度もシャッターを切っていた。僕はそんな「彼」を見ながら先へ先へと歩を進めた。まるで何かから逃げているみたいだなと思った。長い長い橋梁の真ん中あたりまで歩いたところで振り返ると、「彼」はまだバス停に近い場所に留まったままでカメラを湖に向けていた。そうか、夕陽をまっているのかと気がついた。僕はそのまま立ち止ることなく橋を渡り終えた。渡りきったのは良いが、先にはバスも鉄道もなかった。仕方なく僕はヒッチハイクを始めた。細切れに地元の車を乗り継いでやっとのことで、その夜の宿についたのだった。すでに夜になっていた。玄関で名前を告げると「東京からですか?」と聞かれた。S市からです、と言うと「すみません、今夜はもうおひとり同じお名前の東京からのお客様がいらっしゃるので」とのこと。夕食のとき、女将から紹介された「東京の人」が「彼」だった。
 「湖でお会いしましたよね」
 「橋をどんどん渡っていかれたでしょう。あの先は交通機関がないし、どう見ても地元の人じゃなさそうだし、どうされるのだろうとちょっと心配していたんですよ。僕は夕陽を撮影するつもりだったから、ずっとあの場所にいて、同じバス停から戻ってきたんですよ。あれからどうされたんですか?」
 「実はヒッチハイクをしまして・・・車を13台乗り継いでここまで辿り着きました。途中で名物のしじみ汁までご馳走になりました。時間はかかりましたが、それはそれで楽しかったですよ。」

「彼」はヒッチハイクなど想像だにしなかったようで、驚いて聞いていた。宿には僕たち二人のほかは女性客ばかりであった。女将のはからいなのか、僕と「彼」は夕食も同じ時間、同じ食卓であった。そのため、夕食をとりながら話をし続け、食後もロビーの喫茶コーナーで話を続けた。理由はわからないが、僕は「彼」を初めて会った人には思えなかった。

しかし、僕たち二人ともに旅の気分の中にいたためか、名刺を渡すとか住所を知らせあうこともしないまま「おやすみなさい」ということになった。「彼」の言動や様子からプロのカメラマンであるとはわかったが、それ以上のことは聞かなかった。翌朝、遅めに起床したら、すでに「彼」は出発していた。それきりであったのだ。「彼」のことを記憶に残して僕はS市に向ったのだった。

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