闇に輝き顕れるもの(2) [本]

私にとっては佐藤の同年代作家である村上春樹に熱中していた時期にあたる。就職をして忙しく、佐藤の存在を忘れていた時期だった。「きみの鳥はうたえる」には冒頭近くに印象的な以下の記述がある。 僕にはこの夏がいつまでも続くような気がした。九月になっても十月になっても、次の季節はやってこないように思える。そんなときは僕は口数が少なくなった。    佐藤の多くの小説は青春小説と呼ぶべきような作品群であるが、それは前述したように明るく楽観的ではない。むしろ救いのない、頼りない日常がありのままに「ごろり」と提示されている。たしかに主人公は若い。だが、若いからといって無条件に将来にむかって可能性がひろがっているわけではない。佐藤の小説は人生の重さもやるせなさもしっかりと抱え込んでいる。その後も、「空の青み」(『新潮』1982年十月号)、「水晶の腕」(『新潮』1983年六月号)、「黄金の服」(『文學界』1983年九月号)がたて続けに芥川賞候補となるが、そのいずれも受賞には至らなかった。同世代の村上春樹も佐藤泰志もともに実力を認められながらも、ついには芥川賞には縁がなかった。  2010年は佐藤泰志にとっての転換点となった。まずは「海炭市叙景」の映画化があった。そして、これを契機としてすべての小説単行本の文庫出版が始まった。佐藤泰志は20世紀末にはいったん忘れられかけたが、21世紀の初めについによみがえったのだった。だがその実態は、むしろ時代が佐藤の文学世界にやっと追いついたという印象であった。佐藤泰志が死んだのは1990年10月のことだから、死後20年を経過しなければ時代が追いついてこなかったということだったのだろう。映画「海炭市叙景」の宣伝コピーは佐藤泰志の一般的な当時の認識のされかたを物語っている。「不遇の小説家・佐藤泰志が自身の故郷である函館をモデルにした”海炭市”を舞台に描いた幻の小説を、熊切和嘉監督が映画化!」とある。不遇とは芥川賞の候補に何度もなりながら一度も受賞できなかったことを指しているのだろうし、幻の小説とは単行本としては発行されながら文庫化されることはなく、従い20年を経過してしまってからは古書店でもめったにみかけない稀覯本に準じる扱いがされるようになっていたことを指すのだろう。文字通り「幻の」の域にたっしていたのだった。忘れていた佐藤泰志をはっきりと認知したのは、私の場合には彼の死亡記事によってであった。新聞に掲載された小さな記事で佐藤泰志の名前を久しぶりにみつけて、彼の作品世界を少し思い出したのだった。
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闇に輝き顕れるもの(1) [本]

その作家の存在を初めて知ったのは雑誌『北方文芸』1981(昭和56)年2月号においてであった。私は北海道大学在学中に短歌会を組織し、機関誌『刹』を発行していた。『北方文芸』の「短歌時評」に『刹』のことが掲載されていたので参考に購入したのだった。この号に小説「撃つ夏」は掲載されていた。「鬱夏」ではなく「撃つ夏」というタイトルに少し違和感を感じながらも、その小説を読んだのだった。作家の名前は佐藤泰志と印刷されていた。「撃つ夏」は当時の時代感覚からかけ離れ、重くそして暗く感じられた。読み進めるのが苦しかったのを今でも覚えている。ところが現在、『黄金の服』(1989年 河出書房新社)に収められた「撃つ夏」を読んでみると確かに明るくはないが、当時の印象とは違い、現在の時代感覚と妙にフィットしているのに驚いた。ともあれ、当時は読み進めるのが苦しいと感じるほどに暗く厳しい作家として佐藤泰志の事を記憶したのだった。『佐藤泰志作品集』(2007年 クレイン)に掲載されている年譜で確認すると、佐藤泰志は1949(昭和24)年4月26日に函館市高砂町(現若松町)に生まれた。1970(昭和45)年に上京、中野区上高田に住み、4月から國學院大学文学部哲学科に入学している。上高田は私の住む落合の隣町であり、そうか佐藤泰志もこのあたりに足跡を残したのだなと妙な感慨を感じたのだった。國學院在学中にも小説を書き続け、1981(昭和56)年3月に函館市に転居している。「撃つ夏」は佐藤が故郷の函館に転居する直前に書かれた作品ということになる。私自身、1978(昭和53)年4月から1982(昭和57)年3月まで札幌に住んでおり、佐藤が短期間だけではあったが郷里に戻っていた、まさに同じ時期に凾館に訪問したりもしていた。もしかするとどこかですれ違っていたのかもしれない。そして、この時期に『文藝』九月号に掲載された「きみの鳥はうたえる」が芥川賞の候補作に選ばれた。それもあってか1982(昭和57)年3月に佐藤は東京に戻っており、国分寺市に住んでいる。結局は函館に戻ったのは1年間のみであった。ここでも私の異動とシンクロしている。私はその年の4月に東京に転居している。同年、「きみの鳥はうたえる」を含んだ『きみの鳥はうたえる』が河出書房新社から刊行されたのだった。残念なことに私は刊行直後には読んでいない。
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