ときたまメールアート(4) [メールアート]

 五月三○日、ついに最終日となった。クロージングイベント会場では音楽にあわせて電子的な花火がうちあげられてゆく。上のフロアで大野慶人さんのダンスイベントがあったようで、慶人さんがいた。思わずジョン・ソルトさんからのハガキを見せたくなってカーテンから外して見ていただいた。そこには大野一雄さんの舞踏している写真がコラージュされていたのであった。ジョン・ソルトさんは大野一雄さんをアメリカに紹介した功績者であり、細江英公さんが大野一雄を撮影した写真集『胡蝶の夢』の展覧会をロス・アンゼルスの美術館で企画提案、実現したりしている。二○一○年秋、ジョンさんは世田谷美術館での「橋本平八と北園克衛展」のために来日、土岐さんと会っていただけた。慶人さんにハガキを見ていただき、しばらくして一雄さんの訃報が届いた。私には直後という印象があり、その偶然に驚いた。ジョン・ソルトさんが十月二四日に田口哲也さんとともに行った講演会には邦楽の西松布咏さんと大野慶人さんとのコラボレーション公演もあった。  ジョンさんが企画し、私や田村洋さんがプロデュースとして制作にかかわった西松さんのDVD「儚」でのコラボレーションの完成形を見たように思った。世田谷美術館のこのイベントには詩人の藤富保男さんも来られたが、五月の横浜には参加いただけなかったけれど、十一月に予定しているときたまメールアート展覧会には藤富さんも参加いただくことになった。メールアートはネットワーキング・アートでもあるが、ときたまメールアートもまさに「つながり」の連鎖を形成しているようだ。ときたまメールアートは今も拡大を続けており、新たな連鎖を生んでいる。その新しい出会いが楽しみである。
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<<告知とお詫び>>尾崎翠に関する文章に関して [尾崎翠]

このブログに掲示しておりました尾崎翠に関する文章2編(”「歩行」考”(雑誌『がいこつ亭』66号に掲載)と”二重螺旋的彷徨―尾崎翠の後期小説たち”(雑誌『がいこつ亭』67号に掲載))を削除させていただきました。

その理由は、ふたつの文章で言及した「歩行」の”直線構造”という考え方は私独自の考えではなく、すでに石原深予氏が”「歩行」論”において論じておられたことによります。また、私は石原氏のこの文章を読んでおり、本来であれば参考文献として明示すべきところ、明示しませんでした。石原氏に対して申し訳なく、深くお詫び申し上げます。
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ときたまメールアート(3) [メールアート]

 土岐さんのメールボックスに最初に届いたのはダダカンこと糸井貫二さんからのコラボハガキだった。これには驚いたようだ。大阪万博でのダダカンの活躍は多くの方の知るところであり、そのダダカンからの返信がまっさきに届いたのだ。まるで万博で裸の姿で追いかける警備員をひきつれて走ったように先頭をきって走ってきたのである。さすがは糸井さん、「よっ、ダダカン!」てな具合である。土岐さんはダダカンと連絡をとり、なんとonときたまのビデオ映像を撮影してきたのであった。動いているダダカンがテレビの中にいた。八十九歳の逆立ち姿がそこにはあった。肉体がラジカルだった。  その後も続々とハガキは届いた。〆切とした三月末までには三○ヶ国から三二一人の参加があった。これはどうしてたいしたものである。日本国内で開催されたメールアート展として最大級の規模になったのではないかと思う。イタリアのルッジェロ・マッジ、エミリオ・モランディ、スペインのアントニ・ミロ、イギリスのアラン・ターナー、オランダのコ・デ・ヨンク、ベルギーのリュック・フィーレンス、アメリカのジョン・ヘルド・ジュニア、ジョン・ベネット、ウルグアイのクレメンテ・パディン、オーストラリアのデビット・デラフィオーラなどベテラン勢も揃った。カッセル・ドキュメンタ参加作家のユルゲン・オルブリッヒ(ドイツ)やフルクサスのメンバーの作曲家・塩見允枝子さんにも参加いただいた。日本からの参加者はメールアートジャンル以外からの参加も多数あってバラエティーに富んだ内容となった。アンデパンダンな感じとしてネパールの小学生が参加してくれたのはうれしかった。アジアはメールアート・ネットワークの弱い地域ではあるが、韓国からは複数のアーティストに参加いただけた。視覚詩分野からはドイツのペーター・デンカー、ゲアヒルテ・エベル、ハンス・ブログやオーストリアのヨゼフ・リンシンガー、フランスのジュリアン・ブレーヌ、アメリカのアンドリュー・トペル、金澤一志さんなど多数の参加があった。  さて、BankART Studioでの実際の展示である。円形にビニールのカーテン状のハガキいれが天井から吊るされた。カーテンの下部はグランドレベルよりも高い位置で平行の美しい円形を描いており、観客が内部を歩くと足だけが見られるような展示である。この円筒形の外には土岐さんの週刊ときたまハガキが差し込まれた。内部はメールアートコラボレーションの展示である。できる限り恣意性を排除するため、到着順に並べることにした。すると国も年齢も職業も感性も違う方どうしが隣り合うことになる。また、面白いことに全く違う国の感性の異なりそうな、センスも違いそうな二人が同じような解釈と表現を行っていたりするのだ。思わず笑ってしまう。たとえば、言葉どうしを線でつないで関係づけてゆく絵画を制作した何人かがいた。国籍も、おそらく年齢も、普段の表現も全く違うだろう何人かが似たような方法でコラボレーション作品を仕上げたのだ。不思議な感じがした。オープンした最初の土曜日である五月八日、会場においてメールアートについてのトークショウを行った。そこにベテラン・メールアーティストの幸円良介さんや松橋英一さんが駆けつけてくれた。視覚詩の菊池肇さん、人形作家の井桁裕子さん、モノクロの写真プリントにピンスクラッチをするアーティスト井村一巴さん、一筆描きの超絶技巧を見せる小川敦生さん、ブログで知り合った半田清さん、映像作家の田村洋さんなど多くの方が来てくれた。また土岐さんは期間中にユーチューブでゲストとのトークを生中継したり、他のアーティストとのコラボレーション・パフォーマンスに参加したり、会場でコンサートを行いとアクティブに動いた。結果、約三週間の会期に千人ほどの来場者を迎えた。会場に設置されたTVでは多くのonときたま参加者に混ざってダダカンの雄姿も上映された。
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ときたまメールアート(2) [メールアート]

  初めにおためしというかテストのために、この年の十一月二○日から約一カ月の間に、いくつかのハガキを世界各地に送ってみた。封筒に二枚のハガキをいれ、一枚は手元にキープし、一枚にコラボして土岐さんあてに返送するようお願いし、十七カ国、四十人の方々に送ったのだった。このアクションによって土岐さんのメールボックスはその時からギャラリーに変った。土岐さんから連絡があり、ぞくぞく届くハガキの美術的なレベルの高さに驚いたということだった。このテストによって、ときたまハガキによるコラボレーション作品制作の感覚を得ることができたので、五月の展覧会に向けて、企画を進めることにした。まずは展示のためにどのくらいの数のハガキが必要かをきいたところ、少なくとも二○○枚は欲しいと返答がきた。メールアートは前述した通り、返送するもしないもそれぞれのメールアーティストの勝手なので、当然ながら想定よりもかなり多くの相手に送っておかないと数が確保できない。そこで私の千件を超える名前、住所リストから現在もアクティブな三六九人のメールアーティストを選び、これをときたまメールアート用のリストにした。次にどのような形でコラボレーションを行うかである。私自身、同じイメージをすべての方に送る方法とすべて別々のイメージを送る場合とがあった。バリエーションは、すべて違うイメージを送った方が確保できるかもしれないが、同じイメージでコラボレーションを行う場合にはそれぞれの作家による差異が際立つ。今回は明らかに同じイメージにして対応の仕方の違いや逆に思いがけない国の方たちが似ている方法をとってしまう面白さを楽しんでもらう方が良いだろうと感じていた。そしてコラボレーションの仕方の違い、その変化を一覧で見てもらうために、一つの言葉を共通に送ることにした。そこで、土岐さんから七○○種類以上のハガキを提示いただき、それを実際に見て、読んで、どれがいいか検討した。その選定基準は以下である。 (一)漢字、かなの双方が使われており、バランスがいいもの (二)コラボするためのスペースが十分にあること (三)海外の方にも翻訳英文で意味が伝わること (四)デザインで何かのイマジネーションが生じる方が望ましい こうした基準から「背中の向こうに見えるもの」という言葉を選んだ。印字された様はまるで人が立っている姿にみえる。「背中」「向」「見」という四つの漢字と「のこうにえるもの」という八つのひらがな。このバランスも素晴らしいと思った。ハガキの表には意味を単語単位で英文表記した。「背中=the back」「向こう=beyond」「見え=see」「もの=the thing」とだけ解説した。この単語によって浮かぶイメージを言葉と同じ平面に描いてもらうことにした。このハガキを四○○枚以上制作し、英語と日本語による依頼文をつけて世界各地に送付したのは二○一○年一月末日のことだった。この作業は実は結構大変で、送付リストをシールにし、封筒に貼り、ときたまハガキと依頼文を封入する。それらが正しい形になっているのかを確認し、封をして切手を貼ってゆく。郵便局に持ち込んでいただいたが、国数や部数の多さに郵便局員も驚かれたのではないかと思う。
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ときたまメールアート(1) [メールアート]

二○○九年夏、下落合の喫茶「杏奴」(アンヌ)の地下席にコミュニケーション・アーティストである土岐小百合さんと私は一緒にいた。遡る一ヶ月前に写真評論家の飯沢耕太郎さんのトークショウに参加、打ち上げで話をする機会があり、メールアートについて話した。それが土岐さんに伝わり、「onときたま」というビデオ映像作品に出演することになったのだった。そもそも土岐さんは、ハガキに日々の生活の中で思いついた言葉をヴィジュアルに印字し、毎週送付するという、まったくメールアートっぽいことを続けてきた方であり、約七百五十枚にも及ぶ言葉アートの母親なのだった。「onときたま」はそうした言葉ハガキのうちの一枚を出演者が選び、カメラの前で言葉について感想を話すという映像プロジェクトで、さまざまな方々が出演しているビデオ作品なのである。その撮影を行ったのだった。私は多くの「言葉」から「時計がなかったころの時間」を選んだ。人は無意識のうちにその瞬間に自分に深く関係する言葉を選んでしまうようで、おそらくは私も忙しく時間に追われていた時期だったのだろうと思う。撮影が終わり、雑談になった。土岐さんからメールアートについてきかれ、説明をしていった。彼女はメールアートに深い興味を示し、自分のときたまアートはメールアートだろうか?と質問された。ときたまハガキは以下の三つの点で極めてメールアート的だと私は感じた。 ①言葉をハガキという物体の上にのせて直接に届けたい相手に届けている点 ②ハガキを使用しているので、コラボレートして返送が可能で、実際に返信をしている方が存在するという点 ③返事をしたければすればいいし、したくなければ届いたハガキを読み飛ばしておけばいい。受け取った側にとってきわめて自由だという点 メールアートもある意味、アンデパンダンな感覚を有しており、年齢も経歴も国籍も性別も問わない世界であり、そうした差別・順位づけからフリーである点に大きな特徴がある。ネットワークは緩く構成されており、好きなときに入り、いつでも抜けることができる。参加するのにハードルがきわめて低いのがメールアートである。土岐さんは話をしながら、すぐにメールアートの本質をつかまえてしまった。そして、面白いと思ったようだった。  土岐さんは、その時点ですでに翌年5月頃横浜のBankART1929において展覧会を行うことが決まっていたので、その会場にメールアートコーナーを作りたい、協力してもらえないだろうかとの話をもちかけてこられた。私のメールアート・ネットワークを他の方の作品のコラボレーションのためにつなぎこんだ事は過去なかったが、一体どうなってしまうのかという興味はあった。それと日本語による言葉作品に海外のアーティストがどんな反応を、解答を送ってくるのか想像するだけで楽しそうだ。そこで、この依頼を受けることにしたのだった。
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