ときたまメールアート(1) [メールアート]

二○○九年夏、下落合の喫茶「杏奴」(アンヌ)の地下席にコミュニケーション・アーティストである土岐小百合さんと私は一緒にいた。遡る一ヶ月前に写真評論家の飯沢耕太郎さんのトークショウに参加、打ち上げで話をする機会があり、メールアートについて話した。それが土岐さんに伝わり、「onときたま」というビデオ映像作品に出演することになったのだった。そもそも土岐さんは、ハガキに日々の生活の中で思いついた言葉をヴィジュアルに印字し、毎週送付するという、まったくメールアートっぽいことを続けてきた方であり、約七百五十枚にも及ぶ言葉アートの母親なのだった。「onときたま」はそうした言葉ハガキのうちの一枚を出演者が選び、カメラの前で言葉について感想を話すという映像プロジェクトで、さまざまな方々が出演しているビデオ作品なのである。その撮影を行ったのだった。私は多くの「言葉」から「時計がなかったころの時間」を選んだ。人は無意識のうちにその瞬間に自分に深く関係する言葉を選んでしまうようで、おそらくは私も忙しく時間に追われていた時期だったのだろうと思う。撮影が終わり、雑談になった。土岐さんからメールアートについてきかれ、説明をしていった。彼女はメールアートに深い興味を示し、自分のときたまアートはメールアートだろうか?と質問された。ときたまハガキは以下の三つの点で極めてメールアート的だと私は感じた。 ①言葉をハガキという物体の上にのせて直接に届けたい相手に届けている点 ②ハガキを使用しているので、コラボレートして返送が可能で、実際に返信をしている方が存在するという点 ③返事をしたければすればいいし、したくなければ届いたハガキを読み飛ばしておけばいい。受け取った側にとってきわめて自由だという点 メールアートもある意味、アンデパンダンな感覚を有しており、年齢も経歴も国籍も性別も問わない世界であり、そうした差別・順位づけからフリーである点に大きな特徴がある。ネットワークは緩く構成されており、好きなときに入り、いつでも抜けることができる。参加するのにハードルがきわめて低いのがメールアートである。土岐さんは話をしながら、すぐにメールアートの本質をつかまえてしまった。そして、面白いと思ったようだった。  土岐さんは、その時点ですでに翌年5月頃横浜のBankART1929において展覧会を行うことが決まっていたので、その会場にメールアートコーナーを作りたい、協力してもらえないだろうかとの話をもちかけてこられた。私のメールアート・ネットワークを他の方の作品のコラボレーションのためにつなぎこんだ事は過去なかったが、一体どうなってしまうのかという興味はあった。それと日本語による言葉作品に海外のアーティストがどんな反応を、解答を送ってくるのか想像するだけで楽しそうだ。そこで、この依頼を受けることにしたのだった。
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