メールアートって?(3) [メールアート]

3.自分のスタイルの発見

 メールアートの初期のやりとりの中、私にとって重要な二人のアーティストとの出会いがあった。一人はアイルランドの詩人のバリー・エドガー・ピルチャーであり、もう一人はチリ出身でドイツに亡命したギレルモ・ダイスラーである。
 ギレルモ・ダイスラーとは、嶋本昭三さんのネットワークにより知りあった。そして彼が発行している雑誌「ウニ/ヴェルス」を送ってもらった。そこには「ヴィジュアル・ポエトリーを作らない?作ったら、僕に送ってください。」という手紙が添えられていた。ヴィジュアル・ポエトリーって何?って思ったし、最初はどんなものか想像もできなかった。

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Guillermo Deisler

 「ウニ/ヴェルス」には多くの作品が掲載されていた。それで、何となくこんなものかなと理解できた。みようみまねで作品を作り、彼に送った。35号にその作品は掲載された。でも36号が発行されることはなかった。ダイスラーの急死によって廃刊となったためである。

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アメリカのJohn M Bennettのヴィジュアル・ポエトリー

 「ウニ/ヴェルス」への作品掲載がきっかけでセルビアで発行されている雑誌「シグナル」に作品が掲載された。「シグナル」は雑誌「VOU」にも紹介されており、北園克衛や清水俊彦も作品掲載されたヴィジュアル・ポエトリーに特化した雑誌である。河原温の作品が掲載されたこともある。私が掲載された同じ号にドイツのヴィジュアル詩人、ペーター・デンカー教授の作品が掲載され、その縁から手紙をいただいた。デンカー教授は、当時ハンブルグ市の文化事業関係の企画を担当されており、大阪市と姉妹都市にあるので、日本のビジュアル・ポエトリーをハンブルグ市で紹介したい、参加しないかという誘いだった。1997年1月に赤坂のドイツ文化センターでデンカー教授と会い、結果、97年5月から99年1月までの期間、ドイツとオーストリアを巡回展示された「日本ヴィジュアル・ポエジー展」に参加することになった。また、99年9月に北上市の日本現代詩歌文学館で開催された「日独ヴィジュアル・ポエトリー展」への参加につながった。ここで、多くの日本人のヴィジュアル詩人と会うことになった。私のアーティストとの出会いは、海外経由がどんどん多くなった。

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日独ヴィジュアル・ポエトリー展のカタログ表紙

 アイルランドのバリーとも94年にメールのやりとりが始まった。彼は私のコラージュを気に入り、アイルランドの新聞や雑誌からの切り抜きを大量に送ってきた。それでコラージュを作ってみたら、という訳である。私はポストカードにコラージュしてバリーに送った。彼はそれを他のメールアーティストに送った。「何かこのポストカードにアクションを加え、日本の中村恵一に送るように」というコメントをつけて。つまり、ひとつのポストカードを3人のアーティストがコラボレートして作り上げるわけである。バリーがもっとも頻繁に送った先はフランスのブルーノ・スルディンだった。バリー+ブルーノ+ナカムラのコラボを私は「トライアングル・コラージュ」と名付けた。そして小冊子にした。

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この小冊子はさまざまなメールアーティストのところに届けられ、その多くの方から「私も作りたい」との申し出となった。

Triangle Collage 2.jpg

結局、100冊以上のコラボレーション小冊子を発行することになった。20カ国以上のメールアーティストと共同制作した。いつのまにか、私のスタイルはコラージュ・コラボレーションということになっていった。

Triangle Collage 3.jpg


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