黒い光と闇の感触―辻潤と竹中英太郎(1) [落合]

 新宿区上落合の1920~30年代について調べていると辻潤がさまざまな局面で登場してくる。気になって少し調べてみると、辻潤自身が居を定めたことはなくて、実際には上落合に住んだ親戚のところに同居したり、遊びに来ていたり、友人の住んでいたアパートに居候同然に転がり込んだりといった具合であったようである。1920(大正9)年、津田光造が辻潤の妹・恒と結婚、上落合503番地に居を構えた。ここには翌年11月頃までの間、母の美津や長男の一(まこと)も同居していたようだ。それどころか、1921(大正10)年5月28日には「エロシェンコが上落合の辻潤の家に遊びに来た。」との新聞記事があるので、辻潤自身が居候よろしく同居していたのかもしれない。だからだろうか、以後の上落合地域での辻潤の影は濃い。たとえば1923(大正12)年6月9~10日の上落合186番地の三角のアトリエにおいて開催された村山知義の「意識的構成主義的第二回展覧会」に現れている。村山の『演劇的自叙伝2』(東邦出版社)によれば「ダダイストの辻潤も、英和辞典をふところに捻じ込んだ姿で現れた。」とある。また、『尾形亀之助全集』(思潮社70年刊)に掲載されている年譜の1926(大正15)年3月の項に「このころ、上落合でバーを経営していた吉行エイスケ夫人のあぐりに恋愛感情をよせる。このバーの常連は、荒川畔村、辻潤、新居格、村山知義、林房雄などで、のちに亀之助夫人になる芳本優もその中の一人であった。」とある。この年譜は尾形優、草野心平、秋元潔による作成。おそらく、この項目は常連の一人であった亀之助夫人の優が書いたのだろう。村山の『演劇的自叙伝2』にも「吉行あぐりさんはまた、東中野のこっち側に「あざみ」というバーを経営しており、エキゾティックな美貌で客を呼んでいた。」とある。吉行あぐりの「あざみ」の常連の一人であった辻潤。

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雑誌「賣恥醜文」創刊号 大正13年4月 文化書院

 考えてみれば、辻潤は吉行エイスケと雑誌「賣恥醜文」や「虚無思想研究」といったダダイズムの雑誌で行動をともにしているし、辻潤は岡山の吉行エイスケの実家にまで訪問、滞在している。1925(大正14)年の年末、辻潤を追いかけて関西に行った妻の小島きよ(「きよ」の表記は雑誌「虚無思想研究」の2号に掲載された文章において掲載された名前を採用した)も辻潤に電報で呼ばれ、エイスケの実家に一泊だけだが宿泊している。倉橋健一の『辻潤への愛-小島キヨの生涯』(創樹社 1990年刊)には、辻潤の二番目の妻である小島きよの日記が随分と引用、紹介されている。読んでいて思わず立ち止まってしまった箇所を紹介する。

  1925(大正14)年6月7日
「たまたま吉行エイスケが上京して中野に住んだ。そこへやっかいになることにした。」

  1925(大正14)年6月24日
「ひるすぎに潤公と一緒に小山さんの処に行く、ルス それから萩原さんの処で酒を御馳走になって、みんなで村山知義、川路柳虹をオソッタがみんなルス あざみで飲んで 蒲田行 百番にちょっとよる。」

 小島きよは辻潤の妻とはいいながら、岡本潤が経営するおでん屋「ゴロニヤ」に転がりこんで住みついたり、この日記のように吉行エイスケのところに居候したりしていて、辻潤の家には落ち着いてはいない。実は6月7日の記載は7日限りのことではなかった。24日の起点も前後の様子から吉行エイスケの家であると思われる。となると、小山さんは作家・小山勝清のことであろう。小山はこの日留守。次に二人は『死刑宣告』の詩人・萩原恭次郎のところへ行く。当時の小山の下落合の家から萩原恭次郎の家までは歩いて5分から10分の間くらいだったろう。すぐ近くだ。萩原は在宅だった。萩原のところにあった酒は飲んでしまい、なくなったのを幸いに近所の文化人をオソウことにしたようだ。だが、三角アトリエの村山知義も川路柳虹も不在であった。萩原のところから村山のアトリエまではどうだろう、かかったとしても10分くらいの距離である。村山のアトリエから川路の家までは5分かからないほどの近さだ。落合地域を歩いた最後の場所が「あざみ」であり、ここで3人して飲んだのだろう。そして東中野で萩原とは別れて辻潤と小島きよの二人は辻潤の家のある蒲田に向かった。蛇足ながら「賣恥醜文」第四号の裏表紙には「カフェー ダダ」をカマタ付近に建設するとあり、カクテルの調合人は辻潤、お上は辻潤の細君つまり小島きよとある。やはり私の目にとまったのは二人がまっさきに小山のところへ向かうところであった。小山勝清といえば東京熊本人村の中心人物。竹中英太郎も彼を頼って居候同然の時期もあり、そして小山の近所の家を借りてすむことになる。1925(大正14)年6月には雑誌「人と人」に挿絵を描いている時期にあり、おそらくはすでに小山のやっかいになったりしていたのではないかと想像する。

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「売恥醜文」第四号のカフェーダダ広告
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