雑誌『女人藝術』をめぐって―村山籌子と小林多喜二を中心に(5) [村山籌子]

7.函館生まれの松本惠子

 次に松本惠子であるが、父親の伊藤一隆は札幌農学校の第一期生にして初代の北海道庁水産課長。インディアン水車の日本への紹介者である。一期生なので直接クラーク博士の教えを受けた数少ない学生でもある。惠子は伊藤一隆の次女として函館で生まれた。青山女学院在学中にイギリスに遊学、在英中に慶応出身の松本泰と結婚した。松本泰はイギリスに渡る前から『三田文学』に作品を書いていた作家である。帰国後は精力的に探偵小説を書いている。夫妻は東中野駅と中野駅の中間あたりにあたる谷戸に10軒以上の借家を建て、それらは谷戸文化村と呼ばれた。住人には「谷譲次・林不忘・牧逸馬」の一人三役作家の長谷川海太郎、ペンネーム地味井平造で推理小説を書いた画家の長谷川潾二郎、評論家の小林秀雄、漫画家の田河水泡らがいた。田河水泡は本名を高見沢仲太郎といい、村山知義の「マヴォ」には高見沢路直として参加している。また、マヴォ・メンバーの柳瀬正夢の紹介によって一時、『女人藝術』の参加作家の一人、平林たい子と同棲したこともあった。田河水泡の妻は小林秀雄の妹、潤子であり、仲人は松本泰・惠子夫妻である。松本惠子は、大家であると同時に、田河水泡夫妻や長谷川海太郎夫妻の仲人でもあり、日本での最初期の女性探偵小説作家であり、アガサ・クリスティーの日本への紹介者であった。とても重要な位置を占める作家なのである。

松本恵子.jpg
『女人藝術』に掲載された松本惠子のポートレイト

 『女人藝術』でも創刊二號となる1928(昭和3)年八月號にマジヨリイ・ライネルの「窮鳥」の翻譯を掲載している。そして1929(昭和4)年三月號には「黒い靴」という創作を書いている。舞台はロンドン。黒い靴をはいているのは・・・・実は「レナ」という犬である。六月號では「密輸入者と「毒鳥」」というエッセーを書いている。シベリア鉄道での旅の際の出来事をつづっていて面白い。八月號ではシルバア・ソオンドラリイ作の翻訳「浴用香水」を、十月號では「無生物がものを云ふ時」という探偵小説を掲載しており、実に多彩な活躍ぶりである。1930(昭和5)年新春號は翻譯特集で、オルツイ夫人の「公園の殺人」を、1931(昭和6)年九月號にはウヰリアム・フランシス作の「風」の翻譯を掲載している。尾崎翠とともに上落合に住んでいた松下文子は詩を『女人藝術』に書いているが、彼女は旭川の出身だから戸田豊子、松本惠子とあわせて北海道出身の女性作家が活躍した雑誌でもあったとの評価も可能だろう。『女人藝術』からは多くの女性作家が育った。その意味では長谷川時雨の思いは達せられたのかもしれない。しかし、後半の『女人藝術』は時雨の当初の思いを反映していたのだろうか。私にはそうとは思えない。ただ、最後まで時雨は『女人藝術』を放棄しなかった。1932(昭和7)年四月號の編集後記に「くたびれて気分すぐれず」と時雨は書いている。発行所は前年暮に赤坂区檜町三番地に移転していた。『女人藝術』は、時雨の体調と何より雑誌の左傾化による発禁処分、それに伴う資金難により六月號をもって廃刊となった。だが、もはや自由にものが言える状況ではなくなったというのが真相であったろう。小林多喜二が虐殺される8ヶ月あまり前のことであった。

女人芸術昭和4年11月号前扉.jpg
『女人藝術』昭和4年11月号前扉  

「女人藝術」2-10号 昭和4年10月號 村山かず子写真.jpg
『女人藝術』に掲載された村山籌子の写真
nice!(24)  コメント(8)  トラックバック(1) 
共通テーマ:

nice! 24

コメント 8

ねこのこね

ご訪問&ナイスありがとうございます。


by ねこのこね (2009-07-17 13:16) 

ナカムラ

ねこのこね様;:こちらこそ、です。回文な感じがいいですね。
by ナカムラ (2009-07-17 14:25) 

とらさん

近代、男女平等を言われてきましたが、抜から、女性も活躍しているんですね。
文化の活躍者の多くが女性でもあるのしょうね。
by とらさん (2009-07-17 15:17) 

ナカムラ

とらさん様:コメントありがとうございます。平塚雷鳥の『青鞜』ではないですが、戦前の女性は誰もが戦いながら活躍の場を獲得、広げてきたのだと思います。『女人藝術』は後半には左傾化しますが、時代背景もあるとはいいながら、ソビエト連邦の女性が働く姿を紹介されて・・・なんでしょうね。機会があれば、松本惠子さんは読んでいただきたい作家です。戦後『猫』という随筆集を書いています。
by ナカムラ (2009-07-17 15:27) 

駅員3

田河水泡夫人が小林秀雄の妹だったなんて知りませんでした[ひらめき]
そうすると、田河さんと小林さんは兄弟。
田河さんの漫画は小林さんの影響があったのか、無かったのか…のらくろを読んでみようかな(^-^)
by 駅員3 (2009-07-18 08:39) 

ナカムラ

駅員3様:コメントありがとうございます。のらくろに小林秀雄の影響は??ですが、のらくろは私も改めて読み直してみたいと思っています。田河水泡さんは高見沢水車で落語もやっていたようので、マルチな才能ですね。今後もよろしくお願いします。
by ナカムラ (2009-07-18 19:05) 

+k

とても興味深い内容でした *
次も楽しみにしています+
by +k (2009-07-19 15:55) 

ナカムラ

+k様:コメントありがとうございます。今後もよろしくお願いします。
by ナカムラ (2009-07-20 12:24) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。