ぺたぺたアートもメールアート(2) メールアートギャラリー<ラバースタンプ・アート> [メールアート]
2.ジョン・ヘルド・ジュニアのぺたぺたアート
ラバースタンプ・アートの領域における活動は近年整理され、アート領域として位置づけされようとしており、その中心的なキュレーターがジョン・ヘルド・ジュニアである。彼は1999年に『ラバースタンプ・アート』という本を出した(出版社はイタリア)。この著作において彼は、ほぼ全世界のラバースタンプ・アートの代表的な作家を網羅して紹介している。また、彼のラバースタンプ・アートを中心にしたメールアートのコレクションはニューヨーク近代美術館に収納されている。ちなみにジョン・ヘルド・ジュニアは現在、サン・フランシスコに住んでいるが、その前はテキサスに住んでおり、ダラス現代美術館のキュレーターであった。そのジョン・ヘルドによれば「ラバースタンプを最初に使ったのはロシア・アヴァンギャルドのアーティスト達であり、アーティストブックなど一連のブックワークにおいて使用している」との事。2006年1月17日に彼がミネアポリスのミネソタ・ブックアーツ・センターにおいて講演した「ラバースタンプと20世紀のアヴァンギャルド芸術」のレジュメをメールで送ってくれたが、その中に言及されていた。
アメリカのJeff Barnsの作品
アメリカのDragonfly Dreamの作品
ジョン・ヘルドと直接会ったのは、2001年の秋 韓国の済州島でのこと。アジアとしては珍しく大きなメールアート展が開催された時だ。この会場で彼は靴の底にラバースタンプを接着し、床に敷いた大きな紙の上を歩くことで絵を描いてゆくパフォーマンスを行った。単純ではあるが、面白いパフォーマンスだった。出来上がった絵も楽しい作品となった。
John Held Jr.から届いたラバースタンプ・ミュージアムのハガキ
アメリカのアーティストZeteticsの作品。モチーフはフルクサスのレイ・ジョンソン
John Held Jr.からの封筒
ドイツのHenning Mittendorfからの封筒
ラバースタンプ・アートの領域における活動は近年整理され、アート領域として位置づけされようとしており、その中心的なキュレーターがジョン・ヘルド・ジュニアである。彼は1999年に『ラバースタンプ・アート』という本を出した(出版社はイタリア)。この著作において彼は、ほぼ全世界のラバースタンプ・アートの代表的な作家を網羅して紹介している。また、彼のラバースタンプ・アートを中心にしたメールアートのコレクションはニューヨーク近代美術館に収納されている。ちなみにジョン・ヘルド・ジュニアは現在、サン・フランシスコに住んでいるが、その前はテキサスに住んでおり、ダラス現代美術館のキュレーターであった。そのジョン・ヘルドによれば「ラバースタンプを最初に使ったのはロシア・アヴァンギャルドのアーティスト達であり、アーティストブックなど一連のブックワークにおいて使用している」との事。2006年1月17日に彼がミネアポリスのミネソタ・ブックアーツ・センターにおいて講演した「ラバースタンプと20世紀のアヴァンギャルド芸術」のレジュメをメールで送ってくれたが、その中に言及されていた。
アメリカのJeff Barnsの作品
アメリカのDragonfly Dreamの作品
ジョン・ヘルドと直接会ったのは、2001年の秋 韓国の済州島でのこと。アジアとしては珍しく大きなメールアート展が開催された時だ。この会場で彼は靴の底にラバースタンプを接着し、床に敷いた大きな紙の上を歩くことで絵を描いてゆくパフォーマンスを行った。単純ではあるが、面白いパフォーマンスだった。出来上がった絵も楽しい作品となった。
John Held Jr.から届いたラバースタンプ・ミュージアムのハガキ
アメリカのアーティストZeteticsの作品。モチーフはフルクサスのレイ・ジョンソン
John Held Jr.からの封筒
ドイツのHenning Mittendorfからの封筒
新たな試みがなされると、考えさせられます。芸術のとは何なのか。
芸術は本来創作者の制作意図、本人がそれを意識しているかどうかは別にして、が明確でなければならないものだとるすと、偶然性に依存するものは芸術ではないことになります。が、偶然性を意図的に誘導すると、そこには作者の意図が明確に入っていることになります。
本人が意識していないものでも制作意図はあると考えるべきかどうか。本人が制作をする以上、すべきだと思います。そして、その制作意図は後で、解釈されることになるのでしょう。
by アヨアン・イゴカー (2009-08-19 21:34)
アヨアン・イゴカー様:コメントありがとうございます。一定の偶発性によって芸術は次のステップに踏み出していったと私は考えています。そして、それを意図的にコントロールし、理論化し、一般化してゆく。そして、そうした過程の中で、どんなにとがった表現もいつのまにかデザインやコマーシャルの中に取り込まれてゆくプロセスをたどってしまうものだと考えます。しかし、人が表現する時、全く意図なしにはできないでしょう。このあたりはすでに100年近く前にシュールレアリストが通過したことではないでしょうか。偶発も人の肉体を経由することによって物質対象化されます。人間の制限された範囲をこえて表現を解放する、文学でも自動筆記やアンリ・ミショーのようにメスカリン(今はタッチーな話題ですね・・)を服用して詩を書くなどの試みがされていますね。しかし、そうした表現手段を選択すること自体が大変意図的だとも言えます。偶然的な表現を必然にしていった時、きっとその表現自体はマニエラ化してゆくのでしょう。私は残念ながらそうした次元の表現に至ったことはありませんが、良質なコンテンポラリー・アートとはそうしたものではないかと思っています。すみません、生意気なことを申しました。ご容赦ください。
by ナカムラ (2009-08-19 23:35)
下から2番目の封筒可愛らしいですね。
右側の切手も合わせたのでしょうか?
だた、切手っぽくないような気もしますが^^
by kuwachan (2009-08-20 12:49)
kuwachan様:コメントありがとうございます。ジョンのこの封筒は既成の封筒にラバースタンプでデザインしています。右の切手はジョンのオリジナルの切手で、自分の知り合いのアーティストをマンガのキャラクターのように描いたシリーズのアーティストスタンプの1枚です。ちなみに、これはオノ・ヨーコさんがモチーフとのこと。似てますでしょうか?
by ナカムラ (2009-08-20 14:33)