公楽キネマの銀幕のこと(3) [村山籌子]

3.公楽キネマと尾崎翠

 むしろ、ここで気になったのは「公楽キネマ」のこと。公楽キネマという映画館の名前は他でも読んだ覚えがある。それは、尾崎翠の「映畫漫想」だなと思いあたり、雑誌『女人藝術』に6回連載されたうちの第一回を確認すると以下の記述があった。

木陰―影―あぶく―儚-仄―微―なるたけそんなのが好い、しかめ面に遠いのが。そこで、いくらかポケットの便利な時は武蔵野館の三階でなければ猫の額のやうに可愛い駒込館で眼を射ないほどに疲れた畫面を。でなければ、落合の火葬場から遠くない公楽キネマで、草臥れきったゴオルド・ラッシュに他では味はへない風情もあるのだ。

この原稿は『女人藝術』の1930(昭和5)年4月号に掲載されたもので、前記の村山籌子の手紙とほど近い時期のことである。そして、8月号の「映畫漫想(五)」でも再び公楽キネマは登場する。それは衣笠貞之助監督の「駕籠」についての文章のところである。

そこで墓標が消え、公楽キネマの天井に侘しい灯のついた椅子の上で、ひとりの観客は侘しい観念論者にされ、澄み徹った静かな心で考へる「心が所有してる幸運は、そのまま心の外に存在する幸運だ」。

村山籌子から知義にあてた手紙に書かれ、尾崎翠の文章に登場する映画館である公楽キネマを昭和4年に発行された地図「東京府豊多摩郡落合町全図」で確認したら、地図上に「公楽キネマ」の記載があった。上落合521番地にである。この場所は、小滝橋から早稲田通りを中野駅方向に坂を登った通りに面した敷地にあたり、JR東中野駅から西武新宿線の下落合駅に向かう上落合中通りが早稲田通り(当時は昭和通りと呼んだと思うが)と交わるあたりである。村山知義の三角の家からなら歩いて2分くらいの距離だろう。尾崎翠の住んでいた上落合842番地(三輪)からでも徒歩で15分くらいではないだろうか。

③落合地図.jpg

 興味をもって調べてみると、公楽キネマは松竹系で、1925(大正14)年1月にオープンしており、定員は450名。一方、洋画は籌子も翠も新宿にあった洋画中心の封切館である武蔵野館で見ており、オープンは1920(大正9)年6月、定員は1,150名であった。当然、入場料も武蔵野館は高い。

ムサシノ.jpg
新宿武蔵野館の開館6周年記念雑誌『MUSASHINO』

斬人斬馬劇はテクニックだけはうまくなったやうですが結局つまらない映畫でした。山内さんがプロキノにはいることは反對があって、どうなるか分りません。

村山籌子が公楽キネマで見た映画「斬人斬馬剣」であるが、1929(昭和2)年、松竹キネマ京都撮影所の無声映画。伊藤大輔の原作、脚色、監督であり、月形龍之介の主演である。私は未見の作品であるが、長らく見ることができなかったこの映画は、最近になって発見され、デジタル補正されて国立近代美術館のフィルムセンターに収蔵されているようだ。そして、上映もされたようだ。「斬人斬馬剣」は無声映画なので、上映の際には活弁がついたのだろう。公楽キネマにもスクリーンの左側に弁士の入るボックスが、そして前方下側にはオーケストラの席があったという。阪東妻三郎や嵐勘寿郎のチャンバラの場面では、オーケストラの音楽が普段よりも高く流れたという。7月19日付の籌子の手紙には無声映画とトーキー映画についての彼女の思いが書かれている。

活動寫眞は、トーキーは人氣がなくなってしまひ、又そろそろサイレントが復活して來ました。やはり私などもサイレント・ピクチュアを見る方が面白いのです。チャップリンの意見は全然うけ入れられないとしても、トーキーは散文的でいい氣持がしません。ムサシノでも、このごろ、サイレント二本立を時々やってゐます。 松竹座は殆どサイレントかサウンドで、オール・トーキーはメッタにしません。このごろ又々、アーノルド・フンク物が方々に見えてゐます。

11月28日付の手紙には再び公楽キネマが登場している。

チャップリンと言へば、長らくかかってゐた「シティー・ライト」を完成したさうです。これは例によって新春、ロイド、キートンと一緒に封切りになる由です。ロイドのものは「フリート・ファースト」といふ海のもので、バーバラ・ケントが助演してゐます。キートンのものはまだ分りません。此頃はあまり面白いものは出てゐません。公楽キネマへ今日から「アジアの嵐」がかかってゐます。是非もう一度見ようと思ってゐます。

ムサシノ中ページ.jpg
『MUSASHINO』の前扉

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コメント 14

kuwachan

ビルの中ですが武蔵野館は今も新宿にありますが
それでしょうか?

by kuwachan (2009-08-28 23:30) 

abika

ナカムラさん、ご訪問ありがとうございました^^
by abika (2009-08-29 01:40) 

ばん

当時のオーケストラは見てみたかったです。
by ばん (2009-08-29 12:12) 

ナカムラ

kuwachan様:コメントありがとうございました。武蔵野館は今も新宿にある映画館です。大正9年にスタートしました。新宿の映画館の老舗ですね。新宿歴史博物館には当時の上映記録が残っているようです。ただし、洋画の封切館だったので、邦画はまったくでした。
by ナカムラ (2009-08-29 12:46) 

ナカムラ

abika様:コメントありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
by ナカムラ (2009-08-29 12:48) 

ナカムラ

ばん様:コメントありがとうございました。オーケストラは私もみてみたいです。サイレントは弁士つきでみることがありますが、オーケストラ付きは・・・・ないですよね。サイレントじゃないですが、現在の映画で生演奏ときの上映を見たことがありますが、なかなかいいです。マツダ映画には無声映画鑑賞会なる組織があり、これを機に入会することにしました。今、個人的に見たいのは大都映画です。
by ナカムラ (2009-08-29 13:05) 

なぎ猫

1,150人も入る劇場・・・。かなり大きいですね。
ここに訪れるまで尾崎翠さんというかたを
知りませんでした。幻の作家と呼ばれているのですね。
by なぎ猫 (2009-08-30 00:45) 

やまがたん

本日は早朝から夜半まで仕事のため
訪問+応援のみとさせていただきます
ご訪問ありがとうございました^^
( ゚∀゚)o彡°広告もランキンクも゙☆ポチッとオウエン☆
by やまがたん (2009-08-30 05:37) 

アヨアン・イゴカー

これからでも、無声映画が復活しても悪くないと思います。
弁士が居ると、紙芝居のようで、また新しい楽しみ方ができるのではないでしょうか?
by アヨアン・イゴカー (2009-08-30 13:05) 

ナカムラ

なぎ猫様:コメントありがとうございます。尾崎翠は戦前を作家の活動期間とし、戦後は作家活動をしませんでしたので、幻の作家と呼ばれた時期もありました。もしよろしければ筑摩文庫でもでていますので、ご一読いただけるとありがたいです。これが戦前の作家なのか・・・と思うような作風です。先日、写真評論家の飯沢耕太郎さんと話していたら、飯沢さんは大島弓子みたいだよね、と評されました。私は違う感想ももっていますが、少女マンガっぽいのも事実。是非とも一度。
by ナカムラ (2009-08-31 12:20) 

ナカムラ

やまがたん様:コメントありがとうございました。
by ナカムラ (2009-08-31 12:21) 

ナカムラ

アヨアン・イゴカー様:コメントありがとうございました。そうですね。サイレント映画あってもいいですね。でも、弁士手配が大変なんでしょうね。私はマツダ映画の無声映画を観る会に入会することにしました。10月には学士会館で無声映画を弁士つきでみます。
by ナカムラ (2009-08-31 12:24) 

少女探偵

文中「山内さん」は、山内光こと、岡田桑三のことでしょうか?
by 少女探偵 (2011-02-10 09:27) 

ナカムラ

少女探偵さま:文中の「山内さん」はご指摘の通り岡田桑三こと山内光のことです。三角のアトリエのそばに住んでおられたようですね。ご訪問ありがとうございました。
by ナカムラ (2011-02-11 00:06) 

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