「地下室アントンの一夜」の世界(2) [尾崎翠]

(2)「アントン」とは?

 そもそも「地下室アントンの一夜」というタイトルは不思議だ。なぜ地下室の名前がアントンなのだろう?アントンとは作家アントン・チェーホフのことだという。たしかにチェーホフは医者であるが、小説の中ではことさらに「チェーホフという医者」とのみ記述、説明される。チェーホフが医者であることと地下室の名前がアントンであることに関連はあるのだろうか?まったく不思議だらけである。そもそも尾崎翠がチェーホフに興味を持つこと自体は理解できるように思う。というのも、チェーホフの書く小説は尾崎翠と同様に短編が多い。そして、その書き方は人物に焦点をおいており、物語や小説中に劇的な何かを描こうとしたり、大きな出来事をもってくるとかをしていない。こうした点で尾崎は共感できたのではないかと思う。日常的な情景の中できちんと描きたい世界を描くという考えにおいて必ずや共感したであろうと思う。
 などと考えていたら、面白いことに気がついた。それはチェーホフの翻訳者のことである。それは、戦前のチェーホフの翻訳者の一人である湯浅芳子のことである。湯浅芳子は1896年12月7日に京都に生れた。一方、尾崎翠は1896年12月20日に鳥取に生れた。なんとわずかに2週間違いの誕生なのだった。もちろん、湯浅芳子と尾崎翠とを単純に結びつけることはできない。湯浅は編集者であったが、直接の接点はみつからない。しかし、同じ時期に生まれ、従い同じ時代感覚の情景を見て育つということは、その感性の成長に影響がないとはいえないだろう。それに、湯浅芳子が中條百合子と一緒に住んだ最後の家となった目白・上屋敷の家は尾崎翠の家からそう遠くはない。はたして尾崎は誰の翻訳になるチェーホフを読んだのだろうか。英語による小説の翻訳は尾崎も『女人藝術』において行ったが、チェーホフは翻訳で読んだのだろうと思う。一方、チェーホフの戯曲は築地小劇場で数多く上演されていた。その中心人物である土方与志が妻の梅子や佐野碩らとともにソ連にゆき、そのまま亡命したのは1934(昭和9)年のことであるが、尾崎の住んだ上落合にはプロレタリア文学者、演劇人、映画人、画家などが集まっていた。だが、尾崎翠はチェーホフにそうしたソ連での革命的な要素をもって小説のタイトルにアントンを選択した訳ではないだろう。むしろ、尾崎がタイトルにアントン・チェーホフの名前をもってきたのは、チェーホフが小説を書く際に常にめざした「内面ドラマの展開」を暗示したかったのではないだろうか。「地下室アントン」は、作家・尾崎翠の「内面ドラマ」の表出であるととらえることができる。そう考えることで「地下室アントンの一夜」の構造が私にもおぼろげながらわかってきた気がしたのであった。

nice!(38)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 38

コメント 6

chako

探偵のような推理で面白いですね。
今の時代に生きていたら、彼女は何を書いたでしょう…

少し前に、蟹工船がリバイバルで流行りましたが、
この時代の若い人にも共感できる要素の何かがあったんでしょうね。
私の叔父と伯母は、劇団 はぐるま座で蟹工船などをやっていました。
by chako (2010-03-19 08:06) 

kjisland

久しぶりに読みふけってしまいました。
チエホフの短編は岩波文庫で昔読みました。
いろんな所で「かもめ」というタイトルが
でてきて、その「かもめ」を読んだ時、あ
まりにもさらっと読んでしまって、その
重さが実感できないままでした。
なんかそんな事を思い出しています。感謝。
by kjisland (2010-03-19 11:09) 

ナカムラ

chako様:コメントありがとうございます。「蟹工船」は雑誌「戦旗」の昭和4年の号に掲載されました。原稿は当時の戦旗発行所に届いたのですが、尾崎翠の下宿から歩いて5分とかからないような場所でした。編修を担当した立野信之もすぐ近くに居を構えていたのです。接近はしませんでしたが、何らかのシンパシーも同時に感じていたかもしれません。秋田雨雀や橋浦泰雄、涌島義博などを通じて。モダニズムとボルシェビキズムがどちらも前衛だった時代なんですね、おそらく。私も落合に住んだおかげで、今まで全く関心領域外にあったプロレタリア作家に興味を持つようになりました。

尾崎翠が現代に生きていたら、作家にはならず、マンガ家か映画監督になっていたような気がします。
by ナカムラ (2010-03-19 11:17) 

ナカムラ

kjisland様:コメントありがとうございます。実はあらためて、そうかチェーホフは医者だったんだ、などと思いながら私も読みました。
by ナカムラ (2010-03-19 23:59) 

アヨアン・イゴカー

『地下室アントンの一夜』の題名については、不思議な世界のある小説なので、別段名前の意味を考えもしませんでした。
地下室に名前がついていること自体の面白さ、擬人化された地下室の一夜と言う発想、言葉の響きの妙などが気に入ってつけたのか、とも思われますが、そういう感性の女性ではなかったのでしょうか。
by アヨアン・イゴカー (2010-03-20 22:27) 

ナカムラ

アヨアン・イゴカー様:コメントありがとうございます。たしかに。きっと特別な感性をもっていたんでしょうね。昭和初期にそうした感性をもった女性作家はほかに見いだせないような気がしています。
by ナカムラ (2010-03-22 12:07) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。