落合山川・林と翠(4) [尾崎翠]

小説に臭覚を導入する

  私は小父さんの唇がまだ影を背負はなかつた頃の微笑が好きです

次いで「ホオゼ! 親愛なるシユテルンハイムさん」「シユニツツレル親爺さん。」と続く。嗜好帳と副題がつけられているように、これは尾崎の好みを断片的につづったものだが、文章の展開や説明ではなく感覚でつなげてゆくのが面白い。そして、冒頭で匂いについて取り上げているのも象徴的である。五感の中で臭覚を重視しているのだ。「嗜好帳の二三ペエヂ」は同じく『女人藝術』の1929(昭和4)年新年号に続く。こちらでは「捧ぐる言葉」と題された。林芙美子の「古創(放浪記)」に続くページに掲載されたのであった。尾崎の好きなものを順に綴ってゆく手法は後の「映画漫想」と同様であるが、ここでは意外にも「カイゼル」と「佐藤春夫氏」との二つの章のみである。
   
妙な一夜が時々私の屋根裏を訪れます。すると私の頭は私の部屋と同じになり(それとも私の頭の中にいつも王位を占めてゐる耳鳴りが、私の部屋を作り變へてしまふかも知れません)あなたの二つの世界が代る代る消えつ浮びつします。螺旋形の頭のと、多角形な心臓のと。

「ダダ」私は急き込んで言ひました。「お粥の國への爆弾です。ゾラ氏の孫弟子共の行列の中へ――」

しかし、綴られた文章は新鮮な感性を放ちつつ、その一方で意味的には難解なつながりでイメージが連続している。そしてラストでは「これが私の一ばん好きな、一ばん美しい夜の一つの見本です。」と結ばれてしまう。こうした断片的な、そして連想でつながってゆくような世界こそが尾崎の好きな、そして美しいと思うものだというのである。当時の『女人藝術』の読者はこの二つの作品をどのように受け止めたのだろうか、とても興味がある。
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詩人の血

大正末期から昭和初期にかけての時代と
今の平成20年代は似ているかもしれない・・・
貧富の差、不況など・・・
天皇に対する態度も批判をしにくい状態も
昭和初期!!!
金子光晴など読んで・・・
by 詩人の血 (2010-07-14 19:07) 

アヨアン・イゴカー

前衛を同時代に生きて経験し感じるのと、既に「古典」になった前衛を異国情緒やノスタルジーを以って感じるのとは大分異なると思います。1920年代、彼女はその前衛の新奇さ、過去の価値観の破壊に感動したのかもしれません。一方私などは、1920年代を見てその時代に於ける新手法の新しさを感じ、現在との共通性、或いは未来に繋がる普遍的な美しさに感動しているのかもしれません。
by アヨアン・イゴカー (2010-07-14 23:33) 

ナカムラ

詩人の血様:コメントありがとうございます。大正時代を調べると、その前半では凄い勢いで経済発展し、バブル経済であったことがわかります。サラリーマンが登場、地方から東京に人口流入が始まります。昭和初期、これがはじけます。昭和3年金融恐慌があり、銀行が倒産します。同時に普通選挙が始まり、思想弾圧も同時に行います。昭和5年には世界的な大不況が。日本では昭和3年以来の不況が農村をも直撃していたので、クーデターにまで発展していったのでしょう。ナップの成立も昭和3年。

いろいろ考えさせられます。
by ナカムラ (2010-07-15 12:12) 

ナカムラ

アヨアン・イゴカー様:コメントありがとうございます。そうです、今現在の新しさを同時代的に理解するのは難しいことだと思います。

学生の頃、画家の元永定正さんが美術館の学芸員に「先生の作品は新しい・・」といわれて反撃。「新しいとは、こいつら若いやつらが未完成ながら作っているわけのわからないモノだよ」と。私は感激しました。
by ナカムラ (2010-07-15 12:25) 

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