落合山川・林と翠(7) [尾崎翠]

ミグレニン中毒

二人の関係は林芙美子の『放浪記』のヒットによって変化していったものと思うが、暖かい交流はかなり後まで続いたようである。ミグレニンによる尾崎の病気のことを林は以下のように記述している。

私は欧洲から帰って来ると、すぐまた戸隠山へ出掛けた。山で一ヶ月を暮らして帰って来ると、尾崎さんは軀を悪くして困っていた。ミグレニンの小さな罎を二日であけてしまうので、その作用なのか、夜になるとトンボが沢山飛んで行っているようだと云ったり、雁が家の中へ這入って来るようだと、夜更けまで淋しがって私を離さなかった。  眼の下の草原には随分草がほうけてよく虫が鳴いた。「随分虫が鳴くわねえ」と云うと、「貴女も少し頭が変よ、あれはラヂオよ」と云ったりした。私も空を見ていると本当にトンボが飛んで来そうに思えた。風が吹くと本当に雁が部屋に這入って来そうに思えた。ヴェランダに愉しみに植えていた幾本かの朝顔の蔓もきり取ってしまってあった。そんな状態で躰がつかれていたのか、尾崎さんはもう秋になろうとしている頃、国から出て来られたお父さんと鳥取へ帰って行かれた。尾崎さんが帰って行くと、「この草原に家が建ったら厭だなア」と云っていたのを裏切るように、新しい三拾円見当の家が次々と建っていって、紫色の花をつけた桐の木も、季節の匂いを運んだ栗の木も、点々としていた桃の木もみんな伐られてしまった。

実際には尾崎を鳥取に連れ戻したのは父ではなく兄であるが、林はそこまでは知らなかったのだろう。ただ、親しく付き合っていた割にはこのあたりの感覚はあっさりしすぎているように思わないでもない。ちょっと冷たく感じるのだ。だって、尾崎が故郷に帰ったのは随筆が書かれた前の年のことである。それと、尾崎の作品によく登場する草原や桐の木や柿の木やは、この林の記述から1933(昭和8)年にはもう既に伐られてしまっていたのだとわかる。これでは、尾崎の作品世界の情景が落合ではなく、故郷の鳥取ではないかといわれても仕方がないなと思った。

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