「第七官界彷徨」漫想(5) [尾崎翠]

聴覚と触覚

 「聴覚」は佐田三五郎が音楽家をめざす受験生という設定が設けられているように、あえて意識的に導入が図られているように思う。
   
「深い吐息」「口笛を大きくしなければならなかつた」「左の耳の側で鋏が最後の音を終ると同時に」「おれの耳に「フフン」ときこえたところの鼻息で」「ピアノを鳴らしながらかなり大聲で音程練習をした」「愉しそうな音色」「葬送曲」「はなを啜る」「朝の口笛」「土鍋の液が、ふす、ふす、と次第に濃く煮えてゆく音」「祖母がおはぎのあんこを煮る音と變らなかつた」「年とったピアノは半音ばかりでできたやうな影のうすい歌をうたひ」「雨戸がノツクをした」「雑巾バケツに雨だれの落ちる音」「自分がたてた皿の音」

こうした具体的な記述のほかにコミックオペラを歌うこと、片思いの歌曲の楽譜などが隣家から贈られてきたりする。

 次に「触覚」である。五官の中では尾崎が意識的には書かず、したがいもっとも自然に描写したものだと考える。

「固くしぼつた熱いところでちぢれを伸ばす」「三五郎の两手が背後から私の两頬を壓した」「丁度僕の頸に雨の落ちてくる」「くびまき」「ピアノのやけむちやに弾いてやる」「私の頸は急に寒く、私は全身素裸にされたのと違はない」「この方は天鵞絨の布よりもはみ出した綿の方が多かつた」「三五郎は私の頸に逆にあて、鋏の音をたてた」「頬には泪のあとがのこつてゐた」「粘土をこねて」「頸を、寒い風がいくらでも吹きぬけた」「私の頸に冷たいたちもの鋏が蠋れたため」

主人公である小野町子の触覚表現は圧倒的に頸から上に限られており、身体感覚全体に至
ってはいない。こうしたところも尾崎の特徴だろうか。

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