「第七官界彷徨」漫想(8) [尾崎翠]

ドッペルゲンゲルの詩人

小説中ではあきらかにされないが、最後に登場する詩人はアイルランドのフィオナ・マクロウドを想定しているように私には感じられる。つまり、ここでの分裂心理は、ドッペルゲンゲルであり、しかも男女間での心理分裂なのである。そして、分裂した心理あるいは感覚を二つながらに受け入れて、それらが重なって新たに形成される心理を、しかも特に恋愛によって形成される哀感を第七官としているようだ。ただ、私には「第七官界彷徨」を読んでいて、親族ではない異性である柳浩六への愛ではなく、ドッペルゲンゲルの詩人をよしとする柳へのシンパシーのみを感じた。つまり、分裂心理や人間の五官をかさねながら尾崎翠が表明したのは究極の自己愛のように思った。しかし最近のポップスが「私」「私」と自分の感覚のみを私を主語にして表現する幼稚さに比べれば、どれほど複雑でレベルの高い表現かしれないと思う。

私が第七官の詩を書くためにも失戀しなければならないであらう。そして私には、失戀といふものが一方ならず尊いものに思はれたのである。

あまりに唐突な物語の終焉は余韻を残す。しかし、また別の終りのない物語が尾崎翠のなかにはあったのではないかと思い、その読めない一編に私は思いをはせている。

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