霧のポジ、太陽のネガ<一原有徳さんを偲んで>(3) [アート]

3.初めての出会い

 そもそも一原さんのことは登山家として名前のみを知っていた。一原さんは北海道における登山家のパイオニアの一人であり、短いが印象的な心に残る山岳エッセイを書いておられたせいもあって名前を存じ上げていたのだと思う。初めて読んだのは74年に出版されていた『小さな頂』であった。北海道の山は本州の中央山脈に比べて標高も低く、登ってみるとひっそりと静かで、小さな目立たない山頂が多い。それでいて心に残るのだ。大雪はちょっと山容が異なるが、それ以外の山は基本的に小さな頂という印象が私にもある。一原さんはそのイメージをまったくストレートにタイトルにされていて、私はそのタイトルにも魅かれて書棚に収めたのだと思う。そんな憧れの登山家が、私を打ちのめすようなイメージあふれる絵画作品の作者であったとは驚きだった。私はこの人に会いたいと願った。この私の願いをかなえてくれたのもSさんであった。Sさんから再びNDA画廊に来るように連絡が入ったのは79年の初夏のことだった。
 その日、NDA画廊では島州一さんの個展のオープニングパーティーが開かれていた。そこに一原さんが必ず来るので参加するように言われたのだ。憧れの方は私が想像していたよりもずっと小柄だった。その時に何の話を一体したのだろうか、山の話だったとは思うのだが、細かな内容までは記憶にない。ただ、島さんがギャラリーの狭いスペースを6人くらいのアーティストで10分くらいかけてとまらずにゆっくりと歩くというパフォーマンスを行い、一原さんも参加されていた情景を鮮明に記憶している。一原さんはほかのアーティストと違い、少し歩幅を大きくしすぎ、同じ場所でくるりとまわったりしていた。時計をみずに10分をゆっくり動き続けることは意外に難しそうだと思った。私はこの会場で島さんの作品集に彼のシルクスクリーン作品がついたものを購入した。私が初めて購入した美術作品である。お金を貯めて次の機会には一原さんのモノタイプ作品を購入した。60年制作の年号記載のある「GYN」という作品だった。一原さんの作品タイトルについては不思議が多い。きっと本当はあまりタイトルに関心はなかったのだろう。記号の組み合わせで具体的に何かをイメージできないように配慮しているように思えた。「GYN」「TAN」「LEY」「RON」「SON」「ZON」といったようにアルファベット3文字を組み合わせてタイトルにした例も多い。作品それ自体の自立を志向した一原さんには余計な意味や言語は不要だったのだろうなと思う。それはエディションでもそうだった。モノタイプはいい。1点しかできないから「1/1」と表記すれば確実だから。でも、製版した場合、エディションの管理が必要になる。でも、そんなことに関心をもてない一原さんはエディションがわからなくなることもあったようだった。そんな場合には、すべて「AP」=アーティスト・プルーフ(作家用の作品でエディション外の作品を表す)「EP」「EA」(意味はAPと同様)として処理されていたようなので、実際にはエディションの指定部数まで刷られた作品は版画集を例外として、皆無ではないかと心配になるほどである。作品をもって語らしめようとする一原さんのこうした姿勢を私は今も愛している。

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