霧のポジ、太陽のネガ<一原有徳さんを偲んで>(4) [アート]

4.硬質な抒情

 一原さんはモノタイプや金属板に大胆に腐食液をかけたりドリルで直接削ったり、ポンチで刻印したり、ハンマーでたたいたりして製版した版画のほかにもユニークなオブジェを制作していた。鉛の板に物体を凸版にみたてて直接プレスしたり、アルミの板に時計の文字盤をプレスした、版画と呼んでも構わないような、小さなオブジェをたくさん制作された個展があった。活字ではないのだが、鉛を多用されていたせいもあって、私には活版印刷の活字を拾うような楽しみがあった。特に、具体的な形象を感じさせない鉛に大量のネジクギをプレスした作品がすきだった。この作品はのちにステンレス板を焼く作品にも通じていったように思う。イヴ・クラインの火の絵画ではないが、紙を炎で焼く版画を試され、たとえば熱したスパナで焦がした美しい炎の絵画を生み出されたが、この炎と鏡面に磨かれたステンレスとを組み合わせた半立体作品を完成されていった。結婚祝いにと2枚の焼いたステンレス板作品をいただいたのを思い出す。

 一原さんは優秀な俳人でもあった。前述した推理作家・渡辺啓助さんの雑誌『鴉』に俳句を寄せてもいた。『鴉』では本名の一原有徳を使ったが、俳号として九糸、のちには九糸郎を使われた。

  蛇輪禍 特別自然保護地域

私が今も暗記している一句である。全て漢字で構成されているのにリズムは壊されていない。そして上句と下句とのまるでネガとポジのようなイメージの対比がある。一原俳句は彼の版画と基本的な構成は異なっていないようだ。むしろ俳句が先に制作されているので、モノタイプや版画作品がヴィジュアルな俳句なのだといえるのかもしれない。そこには記号も数字も使われ、イメージをより複雑で深みのあるものにしている。

  樹氷きらきら水道の鍵手にねばる
  夕べ小鳥よ雪となる雲を見ている
  あぢさい夕べキャッチボールの音起こる
  ダイヤモンドダスト、ブロッコリーを噛んでいる
  セラミックの姥捨山に妻籠る
  新世紀の空気を掴む小さな手
  わが下水からからに落葉ばかりぞ
  ぱぴぷぺぽ山を焼く音恋の唄
  蝸牛に敷かれて青き地球見る
  9999 999ヒラケゴマ
  水筒の口夕霧にほうと泣く

俳句は言葉だから意味がどうしても明確に出てしまう。それでも一原さんはせいいっぱい硬質な抒情を志向しているように感じる。できる限り形容詞を排して名詞を体言にとめて、異なるイメージを出合わせることで新たなイメージを生じさせる。それが俳句でも版画でも一原さんの方法であったように思う。しかしどんなに硬質を志向しても、どこかにポエジーが内包されていた。それが一原さんの資質なんだろう。そして、できるかぎり削ったぎりぎりの要素の対比によって新たなイメージを構成する。それはシュルレアリストたちが言った「手術台の上でミシンと蝙蝠傘が出合ったように美しい」のポエジーをより鉱物質にした印象がある。一原さんの作品はいわゆるシュルレアリスムではないけれど、その精神的なものを内包していたように感じるのだ。

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アヨアン・イゴカー

>活字ではないのだが、鉛を多用されていたせいもあって、私には活版印刷の活字を拾うような楽しみがあった
鉛は溶けやすくて、独特の魅力がありますね。中学生のころ、小さな帆船の模型を作ったことがありますが、その時碇は鉛をプロパンガスで溶かして、木の型に流し込んで、鑢で削ったりしました。そんなことをしたくなるほど、魅力的な材料です。
by アヨアン・イゴカー (2011-05-05 13:58) 

ナカムラ

アヨアン・イゴカーさま:そうなんです。鉛って独特の質感がありますね。放射線も透しぬくいし・・・。磁気を防御するのに鉛と言われたり・・・。重くて大変だったりもしますが。水銀も魅力的ですが鉛も。
by ナカムラ (2011-05-05 14:05) 

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