たいせつな風景・S市点描「小川の流れと「きりん製作所」の路地」(1) [小説]

 S市の春は忙しかった。雪が溶け、残雪が汚れ始めたと思ったら急に地肌が覗き、あちらこちらで緑が萌え始める。それは見ていて気持ちいいほどの力強さである。あっ桜が咲いたと思ったら、その翌日には辛夷が咲く。そのまた翌日には梅が花開く。そして終いにはありとあらゆる花がここぞとばかりにいのちの息吹を発散する。少なくとも私にはそう思えた。そしてその様子に魅了された。

 もちろん、まだ肌寒くはある。しかし、気持ちが待ってはくれない。うきうきと浮き立ってくるのだった。太陽とそよ風に産毛が立ち、毛穴から春を取り入れようとしているのかと思うほどだ。ずっと南にある雪の積もらない都市からS市に越してきて1ヶ月あまりが経過していた。少しずつだけれど、ここでの生活にもなじみ始めていた。私はS市の中心部よりも南に住んだ。大学の同級生の多くは北側に住んでいた。キャンパスに近いからである。大学への通学には地下鉄を使った。しかし、地下鉄の駅は住んだ場所からはかなり東にあった。まず東西に伸びた商店街を東に向かって歩く。地下鉄に乗ると電車は北にまっすぐ進み、6つ目の駅が大学に近い駅だった。ふたたび西に向かって歩くと大学につく。この道路の北側には大学の家畜小屋があって牛や豚が飼育されていたし、入口には山羊、構内を南北に貫く道路には乗馬部のメンバーが馬に乗ったままで移動していたので動物には事欠かない環境であった。平日は毎日このルートをたどることになった。

 部屋を出て、商店街を東にまっすぐに歩く。ここには昔ながらのさまざまな商店が軒を連ねていた。乾物屋、金物屋、総菜屋、お茶屋、菓子屋、写真館、八百屋、魚屋、肉屋、クリーニング屋・・・。たいていは北海道建築の店構えだった。そうした下町風情の漂う風景や人並みが好きだった。S市は原野に作った官僚都市なので東西南北に升目状の道路が作られている。あまりに人工的な空間は人をくつろがせないところがある。ずいぶん歩くと南北に路面電車が走っている通りに出る。その辻を抜けると商店は減り、銀行やお屋敷らしい大きな住宅がならぶように変る。ちょっと堅苦しい門構えが続くのだった。道はやがて小さな、でもきれいな流れの小川を取り巻く公園の一角を通る。夏になると、この小川には親子づれが大勢訪れ、キャーキャーいいながら水遊びをすることになるのだが、まだそうとは知らぬ春であった。

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