プラトン社の雑誌『女性』『苦楽』をめぐって(3) [プラトン社]

8.『女性』と『苦楽』のデザインセンス
 1924(大正13)年1月、川口松太郎の誘いで挿絵画家の岩田専太郎が入社する。やはり岩田専太郎も震災の難を逃れて関西に転居してきていたのであった。『女性』は、プラトン社美術部社員である山六郎、山名文夫のふたりの表紙絵、扉絵、カットがデザインの核心であったが、新雑誌『苦楽』は娯楽小説とそれを効果的に盛り上げる挿絵が勝負であった。社員である山六郎、山名文夫も挿絵を描き、これに専属の岩田専太郎が加わり、小田富彌、岡本一平、清水三重三などの挿絵画家をあわせて豪華な布陣となる。これらの他、橘文二、田中良、幡恒春、名越国太郎、細木原青起、水島爾保布、竹久夢二も挿絵を提供している。『苦楽』の表紙は、ファッションプレートの流用、山六郎、岡田三郎助の絵画作品などさまざまであるが、連続して山名文夫が担当している時期があり、結果的にその多くを山名文夫が担当した。私の大雑把な感覚でいえば『女性』は山六郎のデザインセンスに山名文夫が協力して作り上げており、『苦楽』は山名文夫が中心となり、岩田専太郎と小田富彌という二人の個性的な挿絵画家によって作り上げられたデザインセンスがあったと思う。

『苦楽』大正14年12月号 山名文夫による表紙「薔薇」.jpg
『苦楽』大正14年12月号の表紙 山名文夫による「薔薇」

『苦楽』大正15年2月号 岩田専太郎による「武道一夕話」への挿絵.jpg
『苦楽』大正15年2月号 岩田専太郎の「武道一夕話」(佐々木味津三)への挿絵

1925(大正14)年4月号からは久保田万太郎の推薦により、川口松太郎が『苦楽』の編集長に就任する。『苦楽』は娯楽雑誌としての位置づけであったので、創刊当初は別にして次第に大衆文学を中心に作品を掲載するようになった。従い、推理小説の初期を代表する江戸川乱歩、小酒井不木、横溝正史、甲賀三郎、牧逸馬、角田喜久雄などが執筆している。時代小説では、編集参与でもある直木三十三、今東光、長谷川伸、岡本綺堂、本山荻舟、佐々木味津三、土師清次、邦枝完二、森暁紅、川口松太郎、林不忘、國枝史郎などが執筆している。推理小説、時代小説ともに挿絵が活きている。特に時代小説における岩田専太郎と小田富彌の挿絵はすばらしい。一方、山名文夫のこの時期の挿絵には出来、不出来の差が大きいように感じる。つまり肌のあった作品につけた挿絵の出来がいいのだろうと思う。江戸川乱歩の「闇に蠢く」につけた挿絵は素晴らしい方の部類である。

『苦楽』大正15年2月号小田富彌の「神州纐纈城」への挿絵.jpg
『苦楽』大正15年2月号 小田富彌の「神州纐纈城」(國枝史郎)への挿絵

『苦楽』大正15年2月号 山名文夫による「闇に蠢く」の挿絵.jpg
『苦楽』大正15年2月号 山名文夫による「闇に蠢く」(江戸川乱歩)の挿絵
nice!(4)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。