闇に香る蒼き薔薇―中井英夫と竹中英太郎(1) [竹中英太郎]

1.「鬼火」の原画
 2007年秋、世田谷文学館にJJ氏こと植草甚一の展覧会を見に行った際、常設展示スペースに横溝正史の小説「鬼火」の雑誌初出時の挿絵原画2点が展示されていた。戦前の挿絵原画を一点も手元に残していなかったといわれる挿絵画家・竹中英太郎の幻といわれた挿絵原画である。この原画を世田谷文学館が収蔵しているのは知っていたが、初めて実見することができた。世田谷文学館収蔵の「鬼火」挿絵原画は合計8点あり、その全てを雑誌『新青年』を発行していた博文館・広告部に長く勤務していた江波謙吉氏が大切に保存されていたもので、今は世田谷文学館が寄贈を受けて管理している誠に貴重な作品なのである。その迫力は印刷では見たことがあるものの、原画は初めて見る私に強い印象を刻むに足るものであった。黒い画面に引き寄せられて、しばらくの間、この絵から離れることができなかった。実はこの原画は存在を知られておらず、平凡社が1980年12月に刊行した『名作挿絵全集』第八巻「昭和戦前・推理怪奇小説篇」に45年ぶりの新発見として収録されたのだった。平凡社といえば竹中英太郎との因縁浅からぬものがあり、戦前刊行された『名作挿画全集』(1935(昭和10)年)の第四巻に竹中英太郎は岡本一平、中川一政や佐野繁次郎とともに収められている。このときは、江戸川乱歩作品をモチーフに「陰獣」4点に加えて「大江春泥作品画譜」21点を改めて描いている。戦前の竹中英太郎の本格的な挿絵制作としての最後の作品が、この「陰獣・大江春泥作品画譜」であった。この直前、雑誌掲載小説への挿絵として最後に描かれたのが横溝正史の「鬼火」であったことを考えると因縁を感じないでもない。また平凡社の社長である下中彌三郎が雑誌『家の光』1925(大正14)年11月号、12月号に“的間 雁二”というペンネームで執筆した創作「かくて村は甦る」に竹中英太郎は“草山 英”の名前で挿絵を描いている。そして平凡社が刊行した円本全集である『現代大衆文学全集』(1928(昭和3)年)のいくつかの巻(小酒井不木集、伊原青々園集、新進作家集)に挿絵を提供している。

竹中英太郎挿絵 「家の光」 大正14年12月号 的間雁二1.jpg
『家の光』大正14年12月号 的間雁二「かくて村は甦る」への竹中英太郎挿絵

2.中井英夫と「鬼火」原画
 さて、この『名作挿絵全集』の第八巻には中井英夫によるエッセイ「胎児の夢-竹中英太郎」が収められている。その冒頭部分を引用する。
 
何という機縁であろう。横溝正史の名作「鬼火」の挿絵八枚全部が、少しも損なわれずに保存されていたとは。そして平凡社からそれを預った私が、この三週間あまり日夜それを眺めて、邪な悦楽にひたるかのように舌なめずりしていられたとは。

 どうやら世田谷文学館で私が見た「鬼火」原画は竹中英太郎についての解説を依頼された中井英夫の手元に一時的に預けられていたようだ。従い、「胎児の夢」は新発見された「鬼火」の原画をおそらくは毎日見続けた中井英夫が、その興奮の中で書き始めたものであり、彼の抑えがたい高揚感が伝わってくるような筆致である。では、なぜ解説が中井英夫なのだろうか。この疑問は、同じく横溝正史の『定本人形佐七捕物帳全集』第1巻の月報(1971年3月)に掲載された中井のエッセー「廃園にて」を読むことで理解できた。ちなみに「鬼火」前編は雑誌「新青年」1935(昭和10)年2月号に掲載された。「廃園にて」の冒頭部分を以下に引用する。
  
昭和十年二月号の雑誌「新青年」は、いま残っているとしても僅かな部数だろうが、それはいずれも中の数ページが破りとられている。いうまでもなく横溝正史氏の名作『鬼火』の前編が“当局の忌諱に触れ”たためで、その本文とともに竹中英太郎氏の絶妙な挿絵一葉もまた永遠に陽の目を見ないこととなった。ところがどういう偶然か、十五年ほど前に私が古本屋で買い集めていた「新青年」の中に、破りとるべき赤マルを色鉛筆でページの上に印しながら、手違いで破り忘れたらしい一冊がまぎれこんでいた。

本来であれば当局によって破りとられていなければならないページが何の手違いであったのか、破り忘れてあった、その偶然の、奇跡の一冊を、その価値のわかる中井英夫のような人のもとに導いてしまうあたり、神の意思のようなものすら感じてしまう。人と人ばかりではなく、ものと人もまたお互いに魅きあうものなのかもしれない。この一冊の中身の意味に気づいた時の中井は震えただろうと思う。ドキドキもしただろう。この世界では、ほとんど誰も見たことがないだろう数ページを目のあたりにしているのだから。中井は自らの書架にこの貴重な一冊を収め、ひとり楽しんでいたのだが、桃源社から『鬼火』復刻版が出版されると聞いて、おもわず完本が手に入ったのだろうか、と問い合わせたのだという。その結果、出版社からは、いくら手を尽くして探しても見つからなかったという返事が返ってくる。それならと資料として提供することになったというのである。当然のごとく、この話は原作者である横溝正史に伝わることになる。横溝からは完本入手の経緯を今度出る全集の月報に書いてもらえないかとの手紙が届いたという。ところが中井は原稿を書かなかったばかりか、返事も書かなかった。いや、書けなかったという。その非礼のお詫びとして、この貴重な一冊は横溝正史のもとに送られることになった。そして「廃園にて」の末尾で中井は、
  
それにしてもどこかで、喪われた竹中英太郎の挿し絵もそのままに『鬼火』の豪華限定版を出そうという奇特な出版社はないものだろうか。

と嘆いている。私も同感である。「胎児の夢」に戻ろう。

「新青年」の完本が手元にあった時、取り出しては撫でさすってニヤニヤしていたが、それはその十ページの中に竹中英太郎の挿絵が一葉入っていたからであった。文章の方は著者が手を入れてつなぎ合わせ、同じ年に春秋社から刊行されたので曲りなりにも読めるけれども、この一葉―列車事故にあった万造がアドニスのような端麗な仮面をつけて現われ、お銀のたっての頼みにチラとその下に焼けただれた素顔を覗かせる場面を描いた絶妙な一葉だけは、もう誰の眼にも触れることもない私だけのものだと思うと、もうそれだけで作中人物になったような、少なくとも“寒そうな縮緬皺を刻んだ湖水”の畔で、この陰々滅々とした話を物語る竹雨宗匠ぐらいの気持にはなれたのである。

ここまで思い入れた「鬼火」挿絵原画が手元にあるのだ。興奮するなというのが無理な注文であろうというもの。原画を目のあたりにしながら、中井がまず考えたのは横溝正史と竹中英太郎との45年ぶりの再会だったが、二人に礼を失しない手紙を書く自信がないままに〆切を迎えるに到ってしまう。もしこの絵を間にした対談が実現したなら“探偵小説の悪夢”は残りなく甦ることだろうに、と中井は後悔気味に綴っている。この対談が実現していたら凄かったろうにと残念に思う反面、果たして竹中は横溝と会っただろうかと疑問にも思うのである。

竹中英太郎挿絵2『現代大衆文学全集』第七巻「小酒井不木集」昭和3年3月1日発行.jpg
平凡社『現代大衆文学全集』第七巻「小酒井不木集」の竹中英太郎挿絵

竹中英太郎挿絵「新青年」昭和4年1月号 浜尾四郎「彼が殺したか」3.jpg
『新青年』昭和4年1月号 竹中英太郎による「彼が殺したか」(浜尾四郎)への挿絵
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