視る詩の不思議(1) メールアートギャラリー<ヴィジュアル・ポエトリー> [メールアート]

1.ヴィジュアル・ポエトリーとの出会い

 ヴィジュアル・ポエトリーという言葉に初めて接したのは1994年秋のことだった。94年初夏にメールアートのネットワークに参加しているので、初期の段階でヴィジュアル・ポエトリーに出会ったことになる。最初に私にヴィジュアル・ポエトリーについてメールを送ってくれたのは、今は亡きギレルモ・ダイスラーであった。彼はチリ出身のアーティストであるが亡命、当時はドイツに住んで美術大学で教鞭をとっていた。かたわら、ヴィジュアル・ポエトリーの制作を行い、メールアートのネットワークに参加していた。そして雑誌「UNI/ver(;)s」(ウニベルス)を発行していた。彼が送ってくれた雑誌の中にヴィジュアル・ポエトリーを見、その世界を知ったのだった。絵のように見えるが「詩」だという。最初はとまどった。どう解釈すればいいのかもわからなかった。ただ、言葉や文字の形に重点をおいた表現なのだろうと解釈し、見よう見まねで作品を制作した。これがヴィジュアル・ポエトリーにかかわるきっかけになった。

2.はじめてのメールアート・プロジェクト

 95年、私のはじめてのメールアート・プロジェクト(メールアートの展覧会やパフォーマンス、メールアート作品集の制作など)である「OPEN EYE」プロジェクトを立ち上げた。シュールレアリストたちが「目は未開の状態にある」と宣言したことを受けての「目を開けよ」という言葉をテーマにしたメールアートを募集した。この時集まった作品の中にもヴィジュアル・ポエトリー作品が含まれていた。たとえばドイツのヨルク・コワルスキーの作品がその時のものだ。おもにこの時はヨーロッパの作家からだった。それもあって、まだこの時点ではヴィジュアル・ポエトリーの世界的な広がりも過去の歴史も知らなかった。ましてや、日本における北園克衛や新国誠一の活動は全く知らなかった。

Jorge Kowalski.jpg
ドイツのJorge Kowalskiの作品

B. Stamford-Plows.jpg
イギリスのB Stamford-Plowsの作品

Cesar Figueiredo.jpg
ポルトガルのCesar Figueiredoの作品
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コメント 2

SILENT

漢字の密度が濃い文章は濃度が上がり
ひらがなやカタカナの多い文章は淡い
そんな印象を思い出しました
ビジュアルポエトリー
不思議な世界ですね
by SILENT (2009-06-25 16:58) 

ナカムラ

SILENTさま:コメントありがとうございます。歴史的には戦後、南米とヨーロッパの詩人が同時に同じような活動を行い、宣言を行なうことで始まったアートです。アルファベットは象形文字じゃないので、かえってスタイルとして確立させたのでしょうね。今後もお引き立てのほどを。
by ナカムラ (2009-06-26 09:25) 

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