WITH YOU プロジェクト(1) メールアートギャラリー<ポストカード・コラボレーション> [メールアート]

1.ポストカード・コラボレーション

メールアートには様々な方法及び形態があるが、その主たる方法の一つにコラボレーションがある。一枚の紙の上に複数のアーティストが共同で制作を行なってゆくもので、その作品の受け渡しを郵便システムを使って行なってゆく。メールアート・ネットワークに参加した1994年から交流のあったアイルランドの詩人バリー・エドガー・ピルチャーは私に、コラージュ作品用の素材にとアイルランドの新聞や雑誌から切り抜いた写真などを毎回数多く送ってきた。これらの素材に私自身が作品用にと切り抜いていた素材をあわせてポストカードにコラージュして送り返した。バリーはこれを他のアーティストに転送、何らかのアクションを加えて私に再度送るようにとの指示をつけていた。これが、私にとって初めてのコラボレーションとなった。バリーを経由した、このコラボレーションにおいては私は常に受動的で、結果としてコラボレーション制作に参加することになったものであった。これをヒントにして能動的に、また自主的に展開したのが、今回紹介する「WITH YOU プロジェクト」である。このプロジェクトは、1997年から1999年の3年間にわたり世界各地のメールアーティスト達と一部のヴィジュアル・ポエトを巻き込んで行なった、ポストカードサイズのコラボレーションである。一年ごとに作品集として発行、参加者全員に郵送した。

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Keiichi Nakamura+Sidney Lurcher

ポストカード・コラボレーションの魅力は大きく二つある。その一つは、制作対象となる紙(画面)の小ささである。常に10センチ×15センチというサイズの制約を受ける。しかも、その小さな画面に一人ではなく、複数の感性が盛り込まれるのであるから、発信する側は、意図して余白や余韻を残すよう努力する事になる。制約は時に制作上のハードルにもなるが、一方で制約されるからこそ考え出されるアイディアもある。例えるならば、自由律の詩と定型詩のようなものだろう。字数を制限されている短歌や俳句が大きな宇宙観をたった数文字によって表現していたりする。限られる事によって生まれる表現上の自由もあるという事なのだ。もう一つの面白さは、手元に返ってきた時。思いもよらない結果が表現されているのを目にする時だ。やはり東洋と西欧の感性の差は大きい。確かに現代の情報化社会では情報は各国で共有化され、共通認識も数多くあるが、生活習慣の違いが生む感受性の違いはやはり大きい。例えば余白の扱い一つをとっても、日本人的な感性では余白を好む傾向を持つが、海外の多くの作者は余白を丁寧に埋めてくることが多い。大きな感性の差である。しかし、自分の思い通りにならないからといって、また感受性が異なるからといって相手の文化を否定してしまってはつまらない。違うからこそ面白いのである。異なる文化との出会いの楽しみがコラボレーションの最大の魅力だ。そうした違いや、時には勘違いすら表現を助ける事がある。異なる感性がぶつかり、反発し、融合し、影響しあいする境界において面白い調和や新たな表現が生まれてくる。それは誰のものでもない結果である。

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Keiichi Nakamura+Mauro Ceolin

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Keiichi Nakamura+Dan Randrum

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Keiichi Nakamura+Rudi Rubberoid
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コメント 10

なぎ猫

私は気が弱いので私が付け足して
作品が変な方向に行ってしまったら
どうしよう、などと思ってしまい多分無理です。
ナカムラさんのコラボ作品は素敵ですね。
by なぎ猫 (2009-09-02 14:25) 

駅員3

ポストカードの小ささ故の制約から、コラボは難しいのはと直感的に思いましたが、読み進んでいくうちに目からウロコでした。
なるほどおっしゃるように、俳句や短歌には制約があるからこその広がりがありますもんね[ひらめき]
日本人は、余白を好み、欧米人は余白を丁寧に埋めるというのも「へー」と思いました。
小学生の時、余白を沢山塗らずに仕上げた作品を描いたら、先生に「余白も全部色を塗れ」と言われて、非常に悲しい思いをしたことを思い出しました(^-^;)
by 駅員3 (2009-09-02 15:05) 

ナカムラ

なぎ猫様:コメントありがとうございます。作品は誰がやっても変な方向にゆくものです。どんな巨匠の作品でも制作している本人は傑作なんて思ったことはないのではないかと思います。私も恥ずかしながら・・・です。まだ私が助かるのは、コラボした作品ばかりをお見せしているので・・・・です。
by ナカムラ (2009-09-02 17:11) 

ナカムラ

駅員3様:コメントありがとうございます。日本の定型詩や茶室、いけばななど、日本人の美意識や世界観は世界に誇るべきものです。でも、一方で欧米の感覚も敵ながら天晴れなものも多く、感性の違いとしか言いようがありません。違いを楽しむ余裕がコラボには必要だなと思います。

じつは、私も小学生の図工には変な思いがあります。駅員3さんは余白を塗るように・・・ですが、私はほとんど全否定されていました。図工の点数はずっと「1」でした。出産でやすんだ先生の代理で担当された愛知芸術大学卒業の先生に見てもらった1学期だけ「5」でした。なんでしょうね、これは。

余白の美は日本人以外もわかってくれるもので、フルクサスのジョン・ケージは4分33秒という音楽作品に音のない世界を盛り込みました。フルクサスの多くのアーティストは禅に興味をもっていました。
by ナカムラ (2009-09-02 17:20) 

s-img

制限があることが作品にいろんな影響を与えるんですね。
非常におもしろいですね。
私の場合は余白があると怖くて埋めてしまいたくなります。
コラボレーションは無理のようです(笑)
by s-img (2009-09-02 20:36) 

ナカムラ

s-img様:コメントありがとうございました。でも、大丈夫です。WITH YOUは私が先に作りますから・・・・もし、今もう一回やった場合、思いっきり埋めていただいてOKですから。
by ナカムラ (2009-09-02 23:35) 

abika

余白は考えたことがなかったです。面白いですね~^^
by abika (2009-09-02 23:52) 

ナカムラ

abika様:コメントありがとうございます。雪舟、等伯など水墨画の大家たちにとって余白は大切な要素でした。独自の遠近法に必要な余白でもありました。これは西洋にはない考え方でした。
by ナカムラ (2009-09-03 00:17) 

青の風画

同じであろうとする時代から
異なることに意味を持つ時代に。
それが一般化されてきたように
思います。
by 青の風画 (2009-09-03 00:38) 

ナカムラ

青の風画様:コメントありがとうございました。本当に、異質なものを
尊重することが大切な視点であると感じています。どうも我々日本人
はまわりをみて、まわりと違っていると不安に感じてしまいがちです
が・・・。違うということを大切に考えたいと思います。
by ナカムラ (2009-09-03 09:55) 

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