たいせつな風景・S市点描「二度目もすれ違い」(1) [小説]

 すれ違いざまにシャターをおされた。大きなシャッター音が響いた。どうやら歩きながら立ち止りもせずに彼は僕の写真を撮影したのだった。驚いている僕に彼は「やあ」と笑いかけた。一瞬とまどったが、その笑顔が僕の記憶の中の「彼」と一致したのだった。「わあ、おひさしぶりです。どうしたんですか。」僕の問いかけに彼は照れ臭そうに頭をかいた。「彼」がまさかS市の市街を歩いているとは思わなかった。彼と出会ったのは2年ほど前のことだった。

 僕にとって初めてのS市の夏は急ぎ足で去っていった。やがて周囲の山から木々が色づき始めたのだった。秋のある週末の夜、思い立って南に向かう特急列車に飛び乗った。月のない夜だったのか窓から見える空にはこぼれ落ちてきそうなくらい星があふれ、とけあうように輝いていた。それは恐ろしいくらいに美しかった。窓には僕の姿も映っていて、そのむこうがわの森は黒くて深かった。列車の揺れは大きかったが、レールの継ぎ目を通る時のリズミカルな音が子守唄になって、いつしか眠りにおちていた。目がさめるとすぐに列車は終着駅についた。ここで大きな船に乗り換えて南に向かうのだ。船には畳敷きの部屋があって再び眠ることができた。やがて船はまだ朝日が昇っていない南の港についていた。まだ眠くてしかたがない僕はその駅の待合室で目をつぶって休んだ。そんな僕の耳に構内放送が聞こえた。その日最初のアナウンスは始発バスの案内だった。深く考えずに案内されたバスに乗り、なにとはなしに訪れた湖に「彼」はいたのだった。もともと「彼」もそのバスの乗客だった。出発の時には「彼」や僕のほかにも乗客はいた。しかし長い路線を走るうちに一人二人と降りてゆき、湖の入口にあるバスの終着停留所に着く時には僕と「彼」だけになっていたのだった。バスをおりて湖にのびる道を歩き、橋をわたり始めた時にはじめて「彼」を意識したのだった。その橋を僕も「彼」も歩いていた。「彼」は橋の上から湖にレンズをむけて何度もシャッターを切っていた。僕はそんな「彼」を見ながら先へ先へと歩を進めた。まるで何かから逃げているみたいだなと思った。長い長い橋梁の真ん中あたりまで歩いたところで振り返ると、「彼」はまだバス停に近い場所に留まったままでカメラを湖に向けていた。そうか、夕陽をまっているのかと気がついた。僕はそのまま立ち止ることなく橋を渡り終えた。渡りきったのは良いが、先にはバスも鉄道もなかった。仕方なく僕はヒッチハイクを始めた。細切れに地元の車を乗り継いでやっとのことで、その夜の宿についたのだった。すでに夜になっていた。玄関で名前を告げると「東京からですか?」と聞かれた。S市からです、と言うと「すみません、今夜はもうおひとり同じお名前の東京からのお客様がいらっしゃるので」とのこと。夕食のとき、女将から紹介された「東京の人」が「彼」だった。
 「湖でお会いしましたよね」
 「橋をどんどん渡っていかれたでしょう。あの先は交通機関がないし、どう見ても地元の人じゃなさそうだし、どうされるのだろうとちょっと心配していたんですよ。僕は夕陽を撮影するつもりだったから、ずっとあの場所にいて、同じバス停から戻ってきたんですよ。あれからどうされたんですか?」
 「実はヒッチハイクをしまして・・・車を13台乗り継いでここまで辿り着きました。途中で名物のしじみ汁までご馳走になりました。時間はかかりましたが、それはそれで楽しかったですよ。」

「彼」はヒッチハイクなど想像だにしなかったようで、驚いて聞いていた。宿には僕たち二人のほかは女性客ばかりであった。女将のはからいなのか、僕と「彼」は夕食も同じ時間、同じ食卓であった。そのため、夕食をとりながら話をし続け、食後もロビーの喫茶コーナーで話を続けた。理由はわからないが、僕は「彼」を初めて会った人には思えなかった。

しかし、僕たち二人ともに旅の気分の中にいたためか、名刺を渡すとか住所を知らせあうこともしないまま「おやすみなさい」ということになった。「彼」の言動や様子からプロのカメラマンであるとはわかったが、それ以上のことは聞かなかった。翌朝、遅めに起床したら、すでに「彼」は出発していた。それきりであったのだ。「彼」のことを記憶に残して僕はS市に向ったのだった。

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