「第七官界への引鉄」板垣直子と一冊の本 (1) [尾崎翠]

樺山千代との交流

 私が初めて読んだ「第七官界彷徨」は創樹社の1980年刊行の単行本『第七官界彷徨』に収められたものであった。この本は野中ユリの装丁なのだが、その表紙には「こおろぎ」も描かれている。おさめられた作品は「初恋」「詩人の靴」「歩行」「こおろぎ嬢」「木犀」「匂い」「山村氏の鼻」「アップルパイの午後」「途上にて」「神々に捧ぐる詩」「第七官界彷徨」「「第七官界彷徨」の構図その他」と多数の作品が収められていて、解説などを除けば合計236ページである。尾崎翠の本といえば薔薇十字社が1971年に刊行した『アップルパイの午後』があるが、戦前にはたった一冊であるが『第七官界彷徨』が出版されている。これは1933(昭和8)年6月25日印刷、7月1日発行であり、発行所は湯島四丁目三の啓松堂である。内容は雑誌「新興藝術研究」第二輯に掲載された「第七官界彷徨」全編を238ページ一冊にまとめたものである。1933(昭和8)年といえば、その前年夏(おそらく8月)に頭痛薬ミグレニン常用による障害を理由に、兄によって鳥取に連れて帰られたから、尾崎翠はこの唯一の著書を鳥取で手にすることになった。では、この一冊は誰によって単行本化が進められたのか、興味がわいていた。
 「第七官界彷徨」は雑誌「文学党員」に当初掲載されたように、「女人藝術」をはなれた尾崎翠には新進の作家たちとの交流が始まっていたのである。「女人藝術」には1930(昭和5)年9月号まで「映画漫想」を連載していた。この5月、林芙美子が杉並・妙法寺から上落合850番地の以前に尾崎翠と松下文子がともに暮らした家に越してきた。尾崎翠は生田春月や橋浦泰雄、秋田雨雀とともに鳥取への文化講演にゆく予定だったのも、この5月である。結果として、生田春月は鳥取へ向かう途上、船から身を投げて自殺してしまった。文学仲間として親しくなっていた樺山千代が『生田春月追悼詩集 海図』(1930年7月 交蘭社)に書いた「先生のプロフイル」には興味深い尾崎翠とのエピソードが描かれている。引用したい。

五月十二日の午後。 私と私の唯一の心の友尾崎さんとは晝食の膳を投げ出したまゝ、ねそべつてバツトの烟を吹き上げてゐた。 「貴女は中味がさうでなくつてエロに誤解される事を悲觀してゐるけれど、私のやうに、別に女性的でないつもりもないのに、やれ男性的だの中性だのつて云はれる事もづいぶん損よ」尾崎さんは云つた。 「だつて、その方がまだいゝわ、それによくつきあつてみれば貴女の女性らしさは誰にもすぐ分る事ですもの。パゝ(奥榮一氏)にしろ、先生(春月氏)にしろさう云つてらしてよ」 「さう云へば同じ事があなたにも云へるわ」 そんな話を二人がしてゐる時、玄關の戸があいた。案内を乞はない來客に不審がりながら出て行くと、先生が立つてゐられた。
nice!(13)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

「第七官界彷徨」漫想(8) [尾崎翠]

ドッペルゲンゲルの詩人

小説中ではあきらかにされないが、最後に登場する詩人はアイルランドのフィオナ・マクロウドを想定しているように私には感じられる。つまり、ここでの分裂心理は、ドッペルゲンゲルであり、しかも男女間での心理分裂なのである。そして、分裂した心理あるいは感覚を二つながらに受け入れて、それらが重なって新たに形成される心理を、しかも特に恋愛によって形成される哀感を第七官としているようだ。ただ、私には「第七官界彷徨」を読んでいて、親族ではない異性である柳浩六への愛ではなく、ドッペルゲンゲルの詩人をよしとする柳へのシンパシーのみを感じた。つまり、分裂心理や人間の五官をかさねながら尾崎翠が表明したのは究極の自己愛のように思った。しかし最近のポップスが「私」「私」と自分の感覚のみを私を主語にして表現する幼稚さに比べれば、どれほど複雑でレベルの高い表現かしれないと思う。

私が第七官の詩を書くためにも失戀しなければならないであらう。そして私には、失戀といふものが一方ならず尊いものに思はれたのである。

あまりに唐突な物語の終焉は余韻を残す。しかし、また別の終りのない物語が尾崎翠のなかにはあったのではないかと思い、その読めない一編に私は思いをはせている。

nice!(12)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

「第七官界彷徨」漫想(7) [尾崎翠]

第七官

氏が好きであつた詩人のことを考えたり、私もまた屋根部屋に住んで風や煙の詩を書きたいと空想したりした。

柳が町子に似ているといった海外の女性詩人は屋根部屋に住んで、風や煙の詩を書いたのだという。そしてこの物語は唐突に終りを告げる。

私は女中部屋の机のうへに、外國の詩人について書いた日本語の本を二つ三つ集め、柳氏の好きであつた詩人について知ろうとした。しかし、私の讀んだ本のなかにはそれらしい詩人は一人もゐなかつた。彼女はたぶんあまり名のある詩人ではなかつたのであらう。

小野町子もどうやら片思いのまま失恋しているようだが、隣人の国文科の学生、三五郎、一助、浩六までが失恋しているのである。この失恋のぼうっと哀しい精神状態を第七官であると町子がいっている。小説中では一助が第六官について述べる部分がある。患者への片思いにもんもんとしているところの独白である。

心臓を下にして寝てゐると、脈搏がどきどきして困る。これは坊間でいふところの虫のしらせにちがひない。心臓を上にして寝てみると、からだの中心がふらふらして困る。これはやはり虫のしらせの一種にちがひない。

僕は今にして體驗した。人間にも第六官がそなはつてゐるんだ。まちがひなくそなはつてゐるんだ。人間の第六官は、始終ははたらかないにしろ、ひとつの特殊な場合にはたちまちにはたらきだすんだ。それは人間が戀愛をしてゐる場合なんだ。

第六官まで来た。では第七官とはいったい何か。この第七官の世界を彷徨することこそが
この小説の主題なのだから。「第七官」が具体的に登場するのは一助の分裂心理学の研究
について町子が考えるところである。

こんな廣々とした霧のかかつた心理界が第七官の世界といふものではないであろうか。

音樂と臭氣とは私に思はせた。第七官といふのは二つ以上の感覺がかさなつてよびおこすこの哀感ではないか。

(天井板のすきまからみる)この大空は深い井戸の底をのぞいてゐる感じをおこさせるであろうか。第七官といふのは、この心理ではないであろうか。
nice!(16)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

「第七官界彷徨」漫想(6) [尾崎翠]

臭覚の小説への導入

 最後に「臭覚」である。尾崎は匂いに敏感な作家である。「第七官界彷徨」においても匂いの表現は現実感がある。

「こやしを煮て鼻もちならぬ臭氣を發散させる」「香水の匂ひ」「臺所からものの焦げる匂ひ」「アンモニアが焦げると硫黄の臭氣に近づく」「臭氣といふものは空に空に昇りたがるものだから・・」「生ぼしの柿の山國の匂ひのゆたかなもの」「大根畠は眞實の大根畠と變らない臭ひがした」「この濕地もまたこみいつた臭氣を放ってゐたのである」「鶏糞の匂ひ」

今ではめったに嗅ぐことができないこやしの臭いを家庭の中に持ち込んでいる。そのためなのか、兄の二助は農学の研究者であり、室内で二十日大根の栽培と蘚の恋の研究をしているという設定なのである。コケの恋、なんという発想だろうか。驚いてしまう。ちなみに、いまでは全くその存在を覚えている人もいないが、尾崎が住んだ落合では落合大根が有名だったそうである。加えて枝柿が名物で、農家には柿の大木があったそうだ。ほかの小説でもそうだが、尾崎が挿入する学術論文のタイトルは面白い。「第七官界彷徨」では二助のコケの研究の論文タイトルは「肥料の熱度による植物の戀情の變化」である。これを小野町子(女の子)は愛読書にしている。コケの恋は肥料の温度によってどう変わるかについての研究なのである。
 小説には一人の女の子、三人の同居人と二人の隣人、祖母、家主とあと二人が登場する。家主は家主とだけ表記されている。隣人も先生と生徒という表記であって描写はされるが、必要最低限にとどまる。祖母は祖母とだけ。あと二人のうちの一人は老人で従僕と記載されている。名前が記載されるのは残りの五人。主人公は第七官にひびく詩を書こうと思っている小野町子、同居人は精神科医の小野一助、農学研究者の小野二助、音楽学校を声楽の勉強のために受験しようとしている従兄の佐田三五郎。最後に小野町子の前に登場するのが小野一助の同僚の精神科医、柳浩六である。縁起を担いで「四」を抜かした一から六までの数字によって名前が作られ、名前の上では抽象化され、没個性化がはかられている。しかも、五官に相当するようには書かれていないが、同居人たちのそれぞれは読み方によっては一人の人格の多様な面をあたかもそれぞれの人格に分解したかのようにも見える。
そして、他人なのに唯一、名前を与えられている柳浩六こそが小野町子の心を動かした唯一の異性ということなのだろうか。だが、恋愛に似た感情の描写らしきものはあるが、すぐにさした理由もなく、小野町子の前から姿を消してしまうのである。この戀愛全体がまるで少女の夢のようである。その柳への憧憬のような思いは、柳がいった「小野町子が海外の美しい詩人に似ている」にどうやら由来しているようだ。

nice!(16)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

「第七官界彷徨」漫想(5) [尾崎翠]

聴覚と触覚

 「聴覚」は佐田三五郎が音楽家をめざす受験生という設定が設けられているように、あえて意識的に導入が図られているように思う。
   
「深い吐息」「口笛を大きくしなければならなかつた」「左の耳の側で鋏が最後の音を終ると同時に」「おれの耳に「フフン」ときこえたところの鼻息で」「ピアノを鳴らしながらかなり大聲で音程練習をした」「愉しそうな音色」「葬送曲」「はなを啜る」「朝の口笛」「土鍋の液が、ふす、ふす、と次第に濃く煮えてゆく音」「祖母がおはぎのあんこを煮る音と變らなかつた」「年とったピアノは半音ばかりでできたやうな影のうすい歌をうたひ」「雨戸がノツクをした」「雑巾バケツに雨だれの落ちる音」「自分がたてた皿の音」

こうした具体的な記述のほかにコミックオペラを歌うこと、片思いの歌曲の楽譜などが隣家から贈られてきたりする。

 次に「触覚」である。五官の中では尾崎が意識的には書かず、したがいもっとも自然に描写したものだと考える。

「固くしぼつた熱いところでちぢれを伸ばす」「三五郎の两手が背後から私の两頬を壓した」「丁度僕の頸に雨の落ちてくる」「くびまき」「ピアノのやけむちやに弾いてやる」「私の頸は急に寒く、私は全身素裸にされたのと違はない」「この方は天鵞絨の布よりもはみ出した綿の方が多かつた」「三五郎は私の頸に逆にあて、鋏の音をたてた」「頬には泪のあとがのこつてゐた」「粘土をこねて」「頸を、寒い風がいくらでも吹きぬけた」「私の頸に冷たいたちもの鋏が蠋れたため」

主人公である小野町子の触覚表現は圧倒的に頸から上に限られており、身体感覚全体に至
ってはいない。こうしたところも尾崎の特徴だろうか。

nice!(19)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

「第七官界彷徨」漫想(4) [尾崎翠]

味覚と視覚

たしかに、この物語のラストは当初の登場人物ではない、したがってあまり描写されていない人物が登場して割に唐突に終っている。私はこれはなんだろうと思った覚えがある。尾崎が自ら述べているように時間不足だったのだろうか。それとも、あえて従来の形式にとらわれず、そして唐突に投げ出すように終ることによって、まさに「第七官界」を我々に感じさせようとしたのか・・・それとも、そのどちらでもあったのかもしれない。

 そもそも「第七官」とは何であろうか。これを読みとく前にこの小説に綴られた「五官」について考察してみたい。「五官」とは普通、「味覚」「聴覚」「視覚」「臭覚」「触覚」であ
ろう。
 まずは「味覚」から。「第七官界彷徨」には作品中にいくつかの食物が登場する。しかし、
いわゆる食事らしい「献立」レベルのものではなく、むしろ素材をごろっとそのまま、である。列記してみよう。

「味噌汁」「蜜柑」「丹波名産栗ようかん」「キヤラメル」「生ぼしのつるし柿」「濱松駅で買つた濱納豆」「二十日大根のつまみ菜」「チヨコレエト玉」「くわゐの煮ころがし」「角砂糖」「のり」「塩鮭」「燻製の鮭」「わかめと味噌汁の区分のはつきりしない味噌汁」「麦こがし」「ざらめ」「番茶」「二十日大根」「引越そば」「おはぎのあんこ」「うで栗」「生栗」「かち栗」「栗飯」「バナナ」「塩せんべい」「どらやき」

あえて、これで献立を作るならば、栗飯+くわゐの煮ころがし+味噌汁+つまみ菜のおひたし+蜜柑、だろうか。現代からみると、それでも寂しい。小説の中では塩せんべいとどらやきの夕食が堂々と登場する。そして、ひとつの恋の触媒として蜜柑が活躍するのである。しかも、主人公たち四人が暮らす借家の垣根である蜜柑の木に実るすっぱくて、種のある蜜柑。ある日、家主の手によってすべて収穫されて葉ばかりの垣根になってしまう隣家との境にある蜜柑。この蜜柑たちは「味はすつぱくとも佐田三五郎の戀の手だすけをする廻りあわせになつた。」のである。

 次に「視覚」である。描写されたものはすべて視覚を通して観察されたものであるのだが、特徴的な凝視や視覚認識を取り上げてみたい。
   
「赤いちぢれ毛」「星をながめる」「代用光線」「蝋燭の灯」「映畫」「でんでん虫の角のかたち」「机の上に立てかけた立鏡」「七つの豆電氣が光線を送る」「空をながめる」「井戸をのぞく」「鋏の穂は私の左の眼にたいへんな刃物にみえてしまつた」「心理における私の眼界」「二つの鏡で頭を映してみせてやらう」「無言のまましばらく靴下の雫をながめてゐた」「私はあかりが眼にしみて眩しかつた」

視線は外界に向かっていない。必ずしも内へ内へと沈下してはいないが、周辺事象への凝視があるくらいに感じる。逆に視覚に意識が集中しすぎないように抑制しているのかもしれない。

nice!(16)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

「第七官界彷徨」漫想(3) [尾崎翠]

冒頭二行の削除

 ただし、『文學党員』掲載のものは前編であったというばかりではなく、この前編自体が『新興藝術研究』第二輯に掲載される際には一部訂正されている。たとえば冒頭であるが、『文學党員』版にあった2行が『新興藝術研究』版では削除されている。これは何故だろうか。
   
私の生涯には、ひとつの模倣が偉きい力となつてはたらいてゐはしないだろうか。

この一文、特に「ひとつの模倣」とは何のことだろうか。この文章がなぜ『新興藝術研究』版では消されたのか。後半に想定していた展開を変更したからなのか。この2行のあとには以下の文章が続く。従い、『新興藝術研究』第二輯では以下が冒頭となっている。

よほど遠い過去のこと、秋から冬にかけての短い期間を、私は、変な家庭の一員としてすごした。そして、そのあひだに私はひとつの戀をしたやうである。

『新興藝術研究』第二輯には「第七官界彷徨」の前に「第七官界彷徨の構圖その他」という7ページにわたる文章が掲載されており、そこに、この2行の削除に関しての尾崎の説明がある。引用してみよう。

劈頭の二行を削除したことは、最初の構圖の形状をまったく変形させる結果を招きました。最初の意圖では、劈頭の二行は最後の場面を仄示する役割を持った二行で、したがって當然最後にこの二行を受けた一場面があり、そして私の配列地圖は圓形を描いてぐるつと一廻りするプランだったのです。

ところが、最初の二行を削除し、最後の場面を省いたために円環としてループするプランから、ストーリーの配列を直線に延ばすことになったというのだ。

この直線を私に行はせた原因は第一に時間不足、第二にこの作の最後を理におとさせないため。

以上のように結論付けているのだが、尾崎は円環を描いてループして永遠に廻り続けるアイディアに未練を感じていたようで、適当な時間を得て、この物語をふたたび圓形に戻す加筆を行うかもしれません、と結んでいる。

nice!(21)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

「第七官界彷徨」漫想(2) [尾崎翠]

雑誌『新興藝術研究』

 「第七官界彷徨」は、はじめ雑誌『文學党員』1931(昭和6)年2月号に掲載された。ただし、これは全編掲載ではなく、全体の七分の四であって、「前編」と表記されていた。そして、創樹社版に掲載された「第七官界彷徨」は同じ1931(昭和6)年6月に発行された雑誌『新興藝術研究』第二輯に掲載されたものをもとにしている。『新興藝術研究』は尾崎翠が住んでいた上落合の家にほど近い場所に住居を構えていた美術評論家の板垣鷹穂が編集主幹を務めていた雑誌で、第一輯のテーマは「日本プロレタリア藝術の現状」であった。そして「第七官界彷徨」が全編掲載された第二輯のテーマは「主として藝術の形式に關する特輯」である。この号にも小林多喜二が執筆している。他にも阿部知二、平林たい子、久野豊彦、津田清楓、林芙美子などが執筆している。極めて正方形に近い形をした318ページに及ぶ分厚い雑誌である。その雑誌独特の質感を感じながら「第七官界彷徨」を読むとき、創樹社の単行本で読んだときと異なる感覚を感じた。本は意味としての内容ばかりではなく、まさに視覚の「見た目」、触覚としての「手触り」、臭覚としての紙がもっている「匂い」などによって、私の五官は刺激されたのであろう。板垣鷹穂の妻の直子は文藝評論家であり、尾崎と同様に『女人藝術』に執筆しており、尾崎を評価していた一人であった。尾崎はよく板垣の家を訪ねていたようだ。『文學党員』に発表された「第七官界彷徨」を読んだ板垣鷹穂が『新興藝術研究』第二輯に全編版として一挙掲載したのだった。
nice!(31)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

「第七官界彷徨」漫想(1) [尾崎翠]

はじめて読んだ「第七官界彷徨」

 尾崎翠の「第七官界彷徨」を読んだのは大学生のとき、したがい札幌においてであった。当時の私は、美術書は丸善か富貴堂、文学はリーブルなにわで探すことが多かったので、『第七官界彷徨』は、おそらくリーブルなにわで購入したのだと思う。創樹社の1980年刊行の単行本である。野中ユリの装丁も気に入って購入した。この段階では、私は尾崎翠について何も知らなかった。なので、まさか大正末から昭和初期にかけての作家活動しかない作家だとは思わなかったのであった。たしかに細部を検討すれば同時代の作家だとは思わないだろう。しかし、まさか昭和初期の作家の小説の中で女性を「女の子」と表記したり、セリフの中で「女の子」などの表現が登場するとは思っていなかったのであった。当時の私の印象は「少女マンガのようだ」だった。だって、「女の子」の小野町子は詩人をめざしていて、二人の兄と声楽の勉強をしようとしている従兄との四人の同居、抽象的な設定の中で現実感のない失恋をしてゆくのだから。この小説は何だ・・・と思った。あげくにコケの恋に関する研究まで登場する始末。この『第七官界彷徨』には尾崎翠の後半期の代表的な作品がまとめられていて、私の好きな「木犀」や「歩行」「アップルパイの午後」なども収録されている。そして、こうした「第七官界彷徨」の周辺の作品を読んでゆくことで、尾崎翠の作品世界を次第に理解できてきたのだった。
nice!(21)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

落合山川・林と翠(8) [尾崎翠]

あえて沈黙を守った翠

鳥取へ帰った尾崎さんからは勉強しながら静養していると云う音信があった。実にまれな才能を持っているひとが、鳥取の海辺に引っこんで行ったのを私は淋しく考えるのである。  時々、かつて尾崎さんが二階借りしていた家の前を通るのだが、朽ちかけた、物干しのある部屋で、尾崎さんは私よりも古く落合に住んでいて、桐や栗や桃などの風景に愛撫されながら、『第七官界彷徨』と云う実に素晴らしい小説を書いた。文壇と云うものに孤独であり、遅筆で病身なので、この『第七官界彷徨』が素晴らしいものでありながら、地味に終ってしまった、年配もかなりな方なので一方の損かも知れないが、この『第七官界彷徨』と云う作品には、どのような女流作家も及びもつかない巧者なものがあった。私は落合川に架したみなかばしと云うのを渡って、私や尾崎さんの住んでいた小区へ来ると、この地味な作家を憶い出すのだ。いい作品と云うものは一度読めば恋よりも憶い出が苦しい。

『第七官界彷徨』が発表されたのは1931(昭和6)年の事だから、尾崎はまだ35歳である。「年配もかなりな方なので一方の損」とは、よくしてもらった林の言葉とは思えない。それでも全体には好意的ではあるのだが、「地味に終ってしまった」と過去形で語るとはどういう料簡だろうか。林芙美子が描いた落合のこと、そして明らかに落合への愛着が語られたこの文章を読む時、いい作品だなと思うのだけれど、一方で林が「地味に終ってしまった」と評した尾崎翠の過去と変わらぬ鮮しさを感じる時、逆に時代ともに生きることができた林芙美子が古びてしまっていることに気がつくのも事実である。故郷に戻った尾崎翠は療養によって早くに回復していたと聞く。ならば、尾崎が書かなかったのは、書けなかったからではないだろう。書き続けた林が1937(昭和12)年12月の南京陥落の際に毎日新聞の特派員として現地に入り、戦時中には世相とはいえ従軍作家として中国や南方に赴いた勇ましい姿をみると、あえて沈黙を守った尾崎翠の「意思」に私は軍配を上げてしまうのである。落合を落合の良さのままに見事に描いた林と落合の風景を心象世界として抽象化し普遍性をもたせた尾崎翠との大きな差を感じる。最後に尾崎の1930(昭和5)年の『詩神』5月号の座談会での発言を引用して終りたい。

日本の作家はもうすこし手法や文章への触覚の発達した詩人にならなければいけないと思ふ。いま頭と心臓といふことが非常に問題になるのです。心臓の世界を一度頭に持って来て、頭で濾過した心臓を披露するといふやうなものを欲しいのです。

落合の山川の緑が翠の帰郷とともに失われたという林の記述を読みながら、その偶然を実に不思議であると思った。と同時に翠の新鮮な感動を伴う文章が古びないことも実に不思議なことに思ったのであった。
nice!(16)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。